Chernobyl Medical Fund Newsletter (5)


 慶應義塾大学医学部国際医学研究会第25次派遣団

潟山 亮平 加藤 純悟 高野 公徳 橋本 すみれ(団員:医学部6年生)

 個人旅行をしたことがなく、海外旅行も家族と行ったハワイ旅行くらいであった自分にとって、このベラルーシでの毎日はとても大切な宝物となった。
ドイツのフランクフルトを経由してベラルーシの首都ミンスクに到着した。これがベラルーシか。菅谷先生も懸念されていた入国手続きはスムーズで、ほとんど問題なく通過することができた。ミンスク国際空港はベラルーシ唯一の国際空港であるにもかかわらず、人も少なくがら〜んとした感じが印象的であった。
しかし何もないな。どこまで行っても山がなく、視野一面に広がる広大な森や牧草地が、ここが日本ではないことを実感させてくれた。菅谷先生は日本を離れ、この地で5年半を過ごされたのだ。思えば大学で行われた菅谷先生のご講演を拝聴し、強く、ただ純粋に感動し、その場で手をあげて一緒に連れて行ってほしいとお願いしたのがきっかけだった。この目でベラルーシの状況を見てみたい。菅谷先生と少しでも同じ時間を過ごすことができれば、これから医師として働いていく自分たちにとって重要な経験になると思っていた。
モーズリでの住民甲状腺検診には2日間で400人弱の住民が訪れ、検診が始まる1時間以上も前から検診室の前に行列を作って待っていた。それは、菅谷先生のモーズリでの活動が住民にとってどれだけ尊いものであったか、そして同時に、まだまだ住民の方々が甲状腺がんの発生をはじめとしたチェルノブイリ事故後の後遺症に不安を抱えながら生活していることを物語っていた。団員一同は今回の住民検診に向けて東京の伊藤病院(甲状腺専門病院)で触診と超音波検査の実習をさせていただいていた。しかし、実際に検診が始まると、自分の診断に自信が持てず、己の未熟さを痛感することとなった。それでも菅谷先生はタイミングをみて触診や超音波検査の実技をわかりやすくご指導してくださり、大学病院での実習では決してできない貴重な経験をすることができた。
住民検診だけでなく、菅谷先生のご尽力で本当に充実した毎日を送らせていただくことができた。ゴメリ州立ガンセンターでは、実際に手術室に入って、菅谷先生のかつての同僚であったタッチヒン先生が執刀された甲状腺がんの手術を見学させていただいた。他にも小児腎センターをはじめ様々な医療施設を見学させていただき、ベラルーシの医療体系や医療状況について学ぶことができた。またゴメリ州立医科大学の学生たちとの交流会も実現した。ベラルーシの医学生は学生のうちから自分の専門を決め、診察や手術など臨床現場を数多く経験し、自分たちよりも何倍も大人びて見えた。夜はウォッカを片手に、お互いの興味や夢を片言の英語で語り合い、同じ学生でも既にこれだけの経験をしている学生がいるということに大変刺激を受けた。
これらの活動には、近い将来、自分たちが医師として働いてく上で重要な経験がいくつもあった。ベラルーシの医療は日本のそれとはまったく異なっており、決して日本の医療が世界のスタンダードではないということを思い知らされた。
ベラルーシの医療には絶対的な設備や消耗品の不足を感じた。国内の医療機材の多くが、原子力発電所事故に対する海外からの援助によってもたらされたものであり、壊れて動かない、メンテナンスができないなどの理由で病院のすみのほうに放置されているものも少なくなかった。手術室は暗くて、窓が開いていて風が入ってくるし、手術台は時間とともに下がってくる。また医師の社会的地位も低く、重労働にもかかわらず報酬が低いというのが現状であった。
しかし、このような環境の中でも、今回面会させていただいた先生方は本当に知性とやさしさにあふれ、医師という職業に誇りを持っていた。病に苦しむ人々を自分の知識と技術を尽くして救おうと頑張っていた。
その姿に自分は医師としての本来の姿を感じた。病気で困っている人を助けたい、自分もただそれだけを考えて医学部に進んだ。しかし、日本で生じる医療訴訟や医療財政の破綻などの社会問題や、過保護とも思われる日本の医療にふれているうちに、その単純だった動機が弱くなっていたことに気がついた。そして自分が医師を志した時の原点に立ち返り、自分のことを投げ打ってでも、病に苦しむ患者の力になれるような医師になりたいと強く感じた。
この学生最後の夏休みの経験を忘れることなく、これから全力で医師という職業に取り組んでいこうと思う。そしていつか医師として一人前になることができたら、自分が何か役に立てるような知識や技術を身につけることができたら、その時はもう一度モーズリの町を訪れ、住民の方々に恩返ししたいと強く思っている。  
最後に、今回のベラルーシへの同行を快く引き受けていただき、現地でもお世話していただいた、菅谷昭先生、千原幹司様、北和田修介さん(最後まで様と呼ばせてはいただけませんでした)をはじめとするCMF支援者の皆様、現地で助けていただいた小川良子様、すべての皆様に心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

(代表で高野が執筆させていただきました)



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