hernobyl Medical Fund Newsletter (4)


ベラルーシを訪ねて

長野県更埴市 塚田 幸子 

 更埴市出身の菅谷昭先生がベラルーシに行かれたとのニュースを聞き、先生の一時帰国の際に講演をお願いしたのは平成9年のことでした。その後先生より、日本とベラルーシの子どもたちと交流をさせたいとのお話があり、パレースカヤ・ゾーラチカの子供たちを招き実現いたしました。交流に至るまで多くの出会いと感動がありました。実行委員会としてはこの後の展開を子供たちに託すと同時に、チェルノブイリ原発事故により汚染され、不安な中から生まれた舞踊団がこんなにたくましく輝かしく育った地はどんな所か行ってみたいという願いを持ちました。
そして今年4月、4年目にしてゾーラチカ15周年記念行事に招待され訪問のチャンスがやってきました。5人の参加でウィーン経由ミンスク2泊モーズリ3泊の旅です。ベラルーシでは小川さん、サーシャさんにお世話になりました。
4月7日、水と緑の美しい国と聞いたベラルーシにはまだ緑はなくミンスクは前日の雪で一面銀世界。モーズリは芽吹きの浅緑がうっすらと梢を彩りようやく春を思わせる情景でした。
 菅谷先生の5年半にわたる活動の地を少しでもこの目で見たいと願い、ミンスクで先生の住んで居られたアパートの前を通り第一病院を訪れました。甲状腺治療の病棟は新しい病棟に比べ暗いですが、お医者さん、看護婦さんは明るく親しみの笑顔で迎えて下さいました。「出来ることならまた菅谷先生と一緒に仕事をしたい」と3年余の先生の存在の豊かさを感じました。モーズリの子ども病院は百年も経っている古い建物で壁の塗り替え最中でした。「医療器具を援助いただき、菅谷先生と同じ志を持つ大勢の日本の人たちの尊い善意に感謝している」と院長のお話がありました。
モーズリ市のアルチョメンコ女史はチェルノブイリ原発事故についての説明に続き「事故は人生を変えた大きな出来事であり、多くの国から助けられた。世界の協力がなければ今の生活はない。特に日本からは早くから援助を受け、今も続いている。菅谷先生からの援助が大きく、先生が検診のみならず小児病院、第一病院への設備にも寄付をくださり住民も良く知っていて大変感謝している」と話しました。続いてゾーラチカの団長エレーナさんから「先生のお陰で日本との文化交流が進んでいること、ゾーラチカセンターが国際交流センターとしてミンスクより立派になったこと、子供たちの交流は簡単なものでなく、理解ある大勢の人の協力が必要であるが、平和な将来を望む子供たちの深い交流を続けていきたい」と、女性として、母として、子どもを思う力強い言葉が聞かれました。
ゾーラチカ15周年記念式典は国際色豊かな活気溢れる楽しい時間となりました。
一見豊かな日本とは異なるベラルーシの秘められた魅力を感じた旅でした。



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