Chernobyl Medical Fund Newsletter (1)


 支援者の皆々様へ

菅谷 昭

   

 様、その後お変わりもなくお過ごしでしょうか。平素は、チェルノブイリ医療基金に対し、深いご理解とお心遣いを賜り、心より感謝申しあげます。
さて、私は今この文章を、長野県松本市の市長室の机で書いております。
実はこの数カ月の間に、私の身辺にとんでもないことが生じてしまったのであります。
私は、2001年6月、ベラルーシにおける5年半の医療支援活動を終え、帰国しました。その後ゆっくり考える暇もなく、田中康夫長野県知事の要請により、同年12月、長野県衛生部に勤務することになってしまいました。まさかこんなことになろうとは夢にも思っていませんでした。
そして、翌年4月からは、衛生部長として県の医療行政に携わり、様々な仕事に取り組んでまいりました。それらのひとつ一つに思い出を残し、本年3月末には定年退職、ようやく松本に落ち着き、ゆっくり今後の生き方を考える時間が持てると楽しみにしておりました。また昨年8月には、既にお知らせしましたように、本基金をNPO法人化し、着々と準備を進めていたのであります。ところが、昨年暮れ頃より、松本市長の選挙にあたり、市長候補者として私の名前が取りざたされるようになり、本年に入り、正式に市民の皆様から要請がありました。私にとりましては“寝耳に水”の話であり、多くの方々と相談し、熟慮に熟慮を重ねた結果、“これも運命かもしれない”と考え、最終的にお受けすることにしました。
組織もなければお金もない、知名度も低く、選挙までの期間も短い等々、悪条件のなかでの選挙でした。しかし、驚くなかれ、多くの市民の皆様のご支援により、人口21万の都市、松本市の市長に当選してしまったのであります。とにかく私にとりましては、予期せぬ出来事でありましたが、市長に当選したからには、市民のために一生懸命働き、すばらしい「まちづくり」に身を入れることに致しましたので、支援者の皆々様、どうぞよろしくご理解くださいますようお願い申しあげます。
なお、本基金の活動は今後も継続してまいりますので、引き続きご支援、ご協力くださいますよう重ねてお願い申しあげます。連日、市長公務の忙しさを痛感しております。皆々様のご健勝を祈念しつつ。

…………………………………………………

就任のご挨拶

松本市長 菅谷 昭  

ミヒャエル・エンデの『モモ』には、「星の時間」が語られています。物語にも登場し、時間をつかさどるマイスター・ホラは、「針も数字もない星の時間をあらわす時計から、星の時間を読み取ることが大切だ」と言います。星の時間とは、何かに強い願いをかけ、物事の成就を願うために、人々が互いに働きあう、特別な瞬間のことを言うのです。私はいま、私自身にとっても、松本にとっても大切な「星の時間」が訪れたことを感じます。
3月14日投票の松本市長選挙におきまして、私は多くの方々から、期待を込めたご支持をたまわり、当選させていただきました。みなさまの、熱く、強い「願い」を真正面から受け、おひとりおひとりの力を感じながら臨んだ選挙でした。そしていま、春の陽光きらめき、清々しい風が吹き渡る中、松本市政という大海へ船出することになりました。
行く先には、難問が山積みしています。早急に解決しなければならない課題があります。それらについて、有賀前市長さんが努力された、優れた部分は継承しながら、選挙中、私が政策の核として打ち出しておりました「主役は市民」という理念をもとに、積極的に解決にむけての努力をいたしたいと思っています。また、お約束した中長期にわたる施策につきましても、綿密な計画を立て、市民合意を得ながら、着実に実行してまいる所存です。
時代はたしかに変化しています。わたしのまち松本も、変化の荒波から逃れることはできません。しかし、その荒波を越えたところに希望があるのだと私は思います。そして希望は、強い願いを持つことによって現実になるのだと信じます。
松本に訪れた「星の時間」を読み取ることは、理想的なまちをつくりあげるための「願い」を形にする第一歩となるのです。市民のみなさま、どうか「星の時間」を航行する船に私と一緒に乗ってください。私はその船の船長として、福祉、医療、環境が充実し、経済が活性化し、だれもが生きがいを感じて生活できる理想の島にご案内することに、全身全霊を傾けることをお約束いたします。

「広報 まつもと」(2004年4月1日)より




ニュースインデックスに戻る

次のページへ