長野県立こども病院とベラルーシの懸け橋に

長野県立こども病院院長 宮坂勝之

 ロシア語圏では、女性はいくつもの名前を使い分けるようです。私は彼女を「エカテリーナ」と呼ぶように言われましたが、「カーチャ」と呼んでいた方は多かったようですね。ロシア大帝のエカテリーナ2世は有名ですが、来られた頃にはハリケーンカテリーナが話題になっていましたので覚えやすい名前でしたが、日本的には、病院ではチェルニショーワ先生とでも呼ぶべきだったのでしょうね。
 さて、彼女が日本に来られるきっかけを作ったこのNPO、とりわけ菅谷先生の並々ならぬご努力には敬意を表したいと思います。この出会いがあり、ベラルーシは私たちにとってシャガールが生まれた国という以上の存在になりました。そして、彼女が毎日のように繰り返した言葉、「日本は医療の天国(パラダイス)だ」、の持つ意味を話題にする機会もできました。彼女には、当院新生児科の中村部長の尽力で、医師として将来に役にたつ技術を学ぶ機会が与えられましたが、何よりも私たち職員にも、日本の医療を見直す良い機会が与えられました。NPOの皆様には感謝申しあげます。
 エカテリーナさんの良かったところは、彼女の性格の明るさと英語力であったと思います。インターネットが利用でき、故郷と手軽にコミュニケーションがとれる時代になっていたことも幸いでした。彼女と当院のスタッフが英語で適度に意思疎通が図れたことで、医療面での研修の実があがりました。お互いにとって外国語である英語でのやりとりは、特に日本人は不得手であり、問題になる場合も多いですが、今回はそれがありませんでした。
 こちらに来て1カ月ほどたったある日曜日、ホームシック?を煩いはじめていた彼女をみてわが家に招き、信大の医学生を何人か呼んでのバーベキューパーティーを行いました。これから医者になる医学生にとっても、日本以外の医療を知るとても良い機会になりました。検査値や医療機器に頼りがちな日本の医療と、そうではなく、例え診断がなされたところで治療手段が限られているベラルーシとの落差を、同じく成長途上の医学生と話し合えたことは良い契機になったようです。同じ年頃の若者と話す機会があったことで、彼女に若者特有の好奇心が芽生えてゆくのが見てとれました。
 それまでの彼女は、母国とはあまりに違う日本の医療レベルに気後れしている雰囲気でした。医学以外のことを吸収する余裕を持たない気配でした。しかしパーティーの帰路、自宅に送る車中で、日本の文化や生活をもっと知りたくなったとか、週末は松本へも出かけたいとか、日本国内各地を旅行したいなどと目を輝かせました。
 実際に帰国前の報告会での彼女のその後の研修生活を聞いた時に、陰でのNPOの方々のご努力、ご尽力がとても大きかったと推察しますが、この短い間に、実に効果的に日本の文化や生活を吸収されたことに驚きました。そして、彼女があれだけ感謝して帰られたことは、NPOの方々のきめ細かなご支援の誇れる成果だと思いました。
 単なる見学や観光案内で終わらせない人的交流は、本当の日本を知っていただくだけでなく、地に足がついた国際共調の基盤ですが、今の日本ではまだまだ途上の国際協力です。今回チェルノブイリ医療基金はそれを見事に達成しました。またそれを目指した菅谷先生の願いも十分に伝わったと思いました。これを契機に、これからもっと交流の輪を広げたいものです。世界の多くのこども病院では、海外留学生の姿は当たり前の時代です。社会に開かれた病院を目指す長野県立こども病院にとっては、今回のような経験は、そうした病院に向かっての大きな活力の源になります。これからも是非ご協力をさせていただきたいと思います。