カーチャを新生児科に迎えて



長野県立こども病院新生児科医師 佐野葉子

 私は、今年の4月に名古屋から長野県立こども病院に来ました。想像していたより重症患児が多く、休みも取れない生活にやっと慣れた頃、ロシア語と英語しか話せないベラルーシのカーチャが研修にやってきました。
 当初、カーチャはこども病院で何が学べるのか、また何を学ぶのかを模索中のようで、ベラルーシの医療水準やカーチャの働く病院の環境が全く分からない私達にとっても、手探りの状態で研修が始まりました。
 最初は、スタッフの4人が交代で患者さんの説明や、検査の仕方など説明していましたが、主治医制のため毎日変わる患者さんを診察するのも大変ということで、カーチャの担当が私に決まりました。今から思い返せば、英語も満足に話せない私について、カーチャは大変だったろうと思います。6月後半から7月にかけて私はとても忙しく、英語で説明し始めてもだんだんと日本語が混ざり、最後には「分かった?」と日本語で聞くしまつ。それでもカーチャは「ダー」と答えて、周囲にいたスタッフが「先生の日本語が分かったの?」とビックリしていた事もしばしばでした。
 6、7月は超音波検査を主に学び、頭部、心臓、腎臓超音波の手順、診断を習得しました。8月から私と一緒に、実際に患者さんを受け持ち、診察、処置、治療、また日本語での指示やコンピューター入力を始めました。
 当院のNICUでは、医師から看護師さんへの指示は全て手書きのため、8月を前に私はカーチャに「主に使う単語を日本語で書けるように練習してほしい。指示を出したらリーダーの看護師さんに必ず自分で伝えてね」と言いました。最初はもちろん私と指示箋を書いていましたが、しばらくすると慣れたように私より先に次の週の指示箋を書いて、「これでいい?」(写真左)と聞くようになりました。ふと見ると、カーチャの手帳には、カタカナで書いた日本語の薬品名や、ミルク、レントゲンなどの文字や、日本での薬の投与量などがいっぱいに書かれており、カーチャの努力がうかがえました。そして、習得した超音波検査技術を用い、出生後の脳の状態を観察し、心機能の評価も行いました。
 よくインタビューで、日本で学べた事は何か?という質問に、カーチャは「超音波検査の技術習得」と答えていましたが、私はそれだけではなく、ベラルーシでは看護師さんのみが行う採血や注射ができるようになり、採血した血液ガスの評価と呼吸器設定の変更の仕方を学び、また、重症先天性心疾患や外科疾患の蘇生、治療、経過を体験できたということは、とても大きな財産になったのではないかと思います。
 話は変わりますが、先日、カーチャと私は1泊2日で京都へ小旅行に行き、清水寺、三十三間堂、金閣寺、竜安寺など駆け足でまわってきました。紅葉には少し早かったのですが、やはり京都の町並みや寺院はカーチャにとって興味深かったようで、デジカメで何枚も写真を撮っていました。日本の食生活でカーチャが気に入ったものは、豆腐、大福、抹茶ということで、京都のお豆腐を食べ、抹茶を飲みながらおはぎを食べました。また、宿坊に泊まり、イスラエルから来た団体と早朝5時半からお坊さん達のお経を1時間にわたり聞いたことは、カーチャの印象に強く残ったことと思います。
 カーチャとの5カ月は、ベラルーシの医療状況や、医師の生活、チェルノブイリ事故の影響を実際に聞くことができ、私にとって大変有意義なものになりました。ベラルーシの春と秋は大変綺麗と聞いたので、次回は私がカーチャのもとを訪れてみたいと思います。