Chernobyl Medical Fund Newsletter
 (5)


取材報告記

活動を通じて知った
悲しみと喜び

  橋本 すみれ

 先日、主に中学生読者に向けてのメッセージ本のシリーズのうち、「病気や傷ついた人をほっとけない」というテーマの巻で、インタビューを受けてきました。
 最近の子どもたちは「チェルノブイリ」という単語すら知らないそうです。私自身、あの事故の当時は小学校にあがるかあがらないくらい、リアルタイムで知っていたわけではなく、チェルノブイリは教科書で学ぶ、歴史上の出来事でした。その「歴史に出てきた」地で実際に活動された菅谷先生が、私の大学で4年生対象の特別講義に来られることを知り、6年生だった私は同級生3人とその講義にもぐりこんだのでした。お話に感動して、講義の最後に先生が冗談のようにおっしゃった、「今度の夏に甲状腺ガン検診のためにまたベラルーシに行きます。誰か一緒に行きますか?」という発言に、「行きます!」と4人で手を上げたのが、はや5年前のことになります。
 初めてのベラルーシでは何をしたらいいのか分からず、ウロウロするばかりで戸惑いの方が大きかったこと、それでも検診に並ぶ長蛇の列に、現地の人々のいまだ消えない強い不安を実感したこと、そしてそんな私たちなのにあたたかく迎えてもらって嬉しかったこと…。そんなことを思いだしました。そして、優しくしてくれた彼らに何もできなかった(もちろん、菅谷先生は検診に家庭訪問に、精力的に活動されていましたが)のが心残りで、医師になってから、また一緒に行かせてくださいとお願いし、2度、3度と訪れる中で初めて見えてきたベラルーシの人々が背負っている悲しみ、苦しみ、不安の重さ。高濃度汚染地域に住んでいて強制移住になった女性の、ふるさとに帰りたいというつぶやきを聞いて涙が止まらなくなりました。あの事故によって、生活が変わったことを「だって仕方のないことじゃない?」とさらっと言ってのける同世代の友人には、かえって私などには想像もできない悲しみとあきらめを感じて言葉をつなげませんでした。けれど、彼らはその重荷を負ってなお微笑み、すべてを受け入れて穏やかに暮らしているのです
 事務局を通じてインタビューのお話をいただいた時には、私に何が伝えられるのだろうと不安に思ったのですが、問われるままにCMFの活動と、私の見たこと、感じたことを語っていくうちに、支援に関わらせてもらってはいるけれど、私が感じているのは同情などではなく、私自身がベラルーシの人々の温かさに強くひかれていること、そして私が彼らに触れることで与えられている喜びが本当に大きいことにあらためて気付かされました。だからこそ、私にできることを彼らに返していきたいと思うし、CMFの活動が息の長いものになるように、精一杯、手伝っていきたいと思うのです。
 私が「がんばっている人」などといって偉そうにメッセージを発するのはまったくおこがましいと思います。ただ、こんな私の話でも、子供たちがチェルノブイリ事故があったこと、そしてそこに私たちと同じく今を生きて生活している人々がいるということを知って、何かを感じる手助けになるとしたら、そしてまた、子供たちが自分の将来を考える何かのきっかけになったら…、そんな気持ちでお話ししてきました。
 言うまでもないことですが、CMFの活動は多くの方々の善意で支えられています。CMFの活動に関わる中で多くを経験し、学ばせてもらっている者として、また菅谷先生を慕う現地の方々の嬉しそうな笑顔に直接触れてきた者として、支援者の皆さまに心からお礼を申し上げてインタビューのご報告を終えたいと思います。いつも本当にありがとうございます、そして今後とも、どうぞよろしくお願い申しあげます。



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