Chernobyl Medical Fund Newsletter
 (7)


ベラルーシ訪問雑感

   橋本 すみれ


 

 4年ぶり4回目のベラルーシ訪問は、菅谷先生の甲状腺がん検診および家庭訪問に同行させていただいた前3回と違い、市民ではなく、病院の新生児科医師たちを対象とした講演メインの、新鮮な感じのするものでした。中村先生のご講演は大盛況で、真剣なまなざしで聞き入る現地の若手医師たち(女性が目立つ)の姿が印象に残りました。また、日本の医療状況に対する興味も旺盛で、講演の後には活発な意見交換がなされ、非常に盛り上がっていました。詳細な講演・質疑内容は他の方の報告に譲るとして、今回の滞在中私が見聞したこと、感じたことを思いつくままに並べて、訪問の記録とさせていただきます。
 ミンスク到着の夜、タッチヒン先生、ゲンナジー先生が歓迎の夕食会に招いて下さいました。以前一緒に検診を行った先生方です。お2人ともお変わりなくお元気で、とても嬉しくなりました。タッチヒン先生のお腹の出具合はかなりな上昇カーブを描いていて、みんなに心配されていましたが。タッチヒン先生は乾杯のあいさつでそれぞれの健康や幸福を願った後、最後に「よい給料を」とおっしゃいました。本音だろうと思います。相変わらずベラルーシでの医師の地位、給料はとっても低いのです。日本でも科を問わず、過労死ギリギリでがんばっている医師はたくさんおられるのだけれど、ベラルーシで医師として働く十字架の重さをあらためて思い起こされました。
 さて、私たちが訪問したのは、ちょうど豚インフルエンザが世界中に広がりつつある時でした。滞在中、何回かこの新型感染症が話題に上りました。現地の医師にベラルーシはどうですか?と問うと、「ない」ということでした。当然のことながら、新型インフルエンザは検査をしなければ陽性患者も出ないわけで、本当にいないのか、検査をしていないから見つからないのかは分かりません。情報統制が強い国ならではと思いましたが、私が現在働いている沖縄県は、インフルエンザが年中流行しているような土地柄で、今回国内発生が確認された時点で県に問い合わせたところ、「県内にはまだ上陸していない、ということになっているので、A型陽性でもPCR(新型かどうかの判定)は行わなくてよい」という答えでしたので、どこでも似たようなものかもしれません。
 今回、チェルノブイリ原発事故基の近くには行っていませんが、通訳の小川さんによると、国としては、もはや汚染地域も安全であるという宣伝をしており、汚染地として放置された耕作地での耕作も30km圏近くまで、どんどん許可されてきているそうです。一方で、事故基のシールドが甘くなって、放射能がもれてきているという噂も聞きました。政治的なこともあり、軽々しく言えることではないけれど、少なくともできるだけ情報を得て、自分で判断しようと努力することは続けていきたいと思います。日本の状況も、他人事とは言っていられないかもしれませんし。
 今回はあまり一般の方と接する機会はない滞在だったのですが、そんな中、モーズリに住む友人のナターシャが、わざわざミンスクまで会いに来てくれました。4歳の息子さんをお兄さんに預け、1人で夜行に乗って。そんなにまでしてもらって申し訳ないと思うと同時に、そんなにしても会いに来てくれる気持ちが嬉しくて、涙が出そうでした。いつもは、1人で街歩きをするのは言葉も分からず怖いので、ホテルの周囲を散歩する程度なのですが、2人でバスに乗り、メトロを乗り継いで町の中心地まで足を伸ばしました。ソ連の作家、マクシムゴーリキーにちなんだゴーリキーパークはとても広くて、観覧車やトランポリン、その他のアトラクションもたくさんあり、家族連れでにぎわっていました。アジア人は見かけなかったけれど、観光客も多いそうです。ナターシャが乗ってきた長距離列車の発着するミンスク駅はガラス張りの立派な建物で、日本の京都駅のようでした。ミンスクだけとりだせば、ここは美しい大都会だと思いました。
 以上、とりとめもない文章ですが、これでご報告を終わります。だんだんとチェルノブイリ事故が風化していく中、菅谷先生が単身で始められた事故後の支援活動が、長野県立こども病院の協力を得て、ベラルーシの医療レベル、とくに国の将来を担う小児の医療を改善させる支援活動となり、さらに現地の医師を日本に招いての研修及び日本の医師との交流もできそうな見通しです。こうして活動が続いてこれたのも、いつもあたたかいご支援をくださる支援者の皆様のご厚意のおかげであり、心から感謝申し上げると同時に、たくさんの善意を現地に伝えられるメッセンジャーになりたいと強く願う今日この頃です。いつも本当にありがとうございます、そしてこれからもよろしくお願い申し上げます。





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