Chernobyl Medical Fund Newsletter (2)


異国で思った日本のこと

 昨年3月下旬、長野県の松本市長に就任して以来、1年が経過しました。予想以上の激務であることを実感している毎日であります。私自身は、もともと外科の医者であります。25年近く、大学病院での仕事をしたあと、ある考えのもと、1995年の末に大学を辞し、チェルノブイリ原発事故の被災地ベラルーシ共和国での長期滞在による医療支援の目的で、単身日本を離れ、現地に向かったのであります。
 5年半にわたるベラルーシでの様々な体験は、私の人生における貴重な充電期間でありました。ここでは、当時異国で感じた日本の国のことを2、3述べさせてもらいます。

★国立バレエ・オペラ劇場にて
 さすが本場のバレエはすばらしい。満席の館内を見渡すと、大人に混じって少年少女たちの観衆も多く見受けられた。聞いてみると、共和国の首都ミンスク市から遠く離れた地方からも、国家による入場料金補助のもと、学校単位でバレエ観賞に来ているとのこと。このように国の伝統文化・芸術に早い時期から慣れ親しむ機会を与えることは、教育面からも極めて重要と思われる。日本では従来、歌舞伎・能などの伝統的古典芸能の鑑賞は、ある特別な階層の方々に限定されている。最近は徐々に変化の兆しも見られるが、それでも普段着でとけ込める、庶民レベルの文化の域にはほど遠いのではないかと感じる。どんなに国が貧しくとも、このあたりの文化に対する考え方は、残念ながらベラルーシのほうが優っている。わが国民も早くそのことに気づき、大いに見習いたいものだと痛感した。

★たくましく生きる人々
 この国の人々は、週末は家族で自分たちのダーチャ(菜園付き別荘)へ出かけ、そこで大地と親しみ、まさに体力と生きる力を十分に養うのである。このような生々しい生活劇の現場に身を置いてみると、ベラルーシ人の生活の匂いや息吹がそこはかとなく胸を突いてくる。
 この国では多くの家庭が共働きである。したがって男性たちも妻に良く協力している。どこぞの国の会社人間のように、過剰労働のため、週末は家でゴロゴロしていることはないようだ。健康面でも精神衛生面でも、企業戦士たちの哀れな生活様式を見直すべきであろう。戦後の日本は、脇目もふらず突っ走ってきた。その結果、世界に類を見ないほどの経済的繁栄を勝ち得たことも事実である。
 しかし、そろそろこれまでのスタイルを改める時が到来しているのではないかと、つくづく思う。そうしなければ、「経済」以外の分野で、世界をリードするには不可能な国のままで終わってしまうのではないかと危惧している。今まさに国際舞台において、日本人の真価が問われている時代ではないだろうか。


……………………………………………………………


 上述したことは、7、8年前に異国でしみじみ感じたことであります。国際的なレベルでの特色ある「まちづくり」を考える時、日々あれこれ悩む昨今です。



ニュースインデックスに戻る

次のページへ