Chernobyl Medical Fund Newsletter (8)


ベラルーシに行ってみて

中澤 啓子

 私がCMFの活動にかかわらせていただき5年になりますが、ベラルーシ訪問は考えてもみませんでした。しかしカーチャさんの研修の際、生活面のフォロー等でかかわる事が多かったにもかかわらず、生活習慣の違いや、言葉の問題で一歩引いてしまう事もあり、反省する事や悔いが残りました。今回医療機関を視察し、どの地域のどのレベルの先生を研修に招くのが良いのかと、生活習慣や文化に触れ、スタッフとしてサポート面を充実させ研修活動がスムーズにできるようにと思い、参加しました。
 最初に国立ベラルーシ医科大で学長にお話をうかがいました。事故をきっかけに日本で被爆経験のある広島、長崎との研修や、甲状腺の手術をした学生が検診を兼ね保養に行く等の交流が続いているそうです。また大学では、日本にはない小児科学部があるとのことで、中村、佐野両先生はとても興味を持ったようです。
 次に訪問した国立医療研究所“母と子”では、設備や医療機器も最新の物が揃っていて、国をあげて医療に力を入れはじめている事が分かりました。
 しかし次の日のモーズリの市産院や小児科病院では、建物や設備も古くミンスクに比べ整備されていません。この産院はカーチャさん親子が働いている所で、日本でお世話になったと大歓迎してくれました。千原氏の「研修の成果は?」の質問に、「研修で自信がつき、新生児室の環境も率先して変え、リーダー的立場になっている。地元の新聞にも取り上げられ、成果が出ている」との事でした。また菅谷先生が近年まで検診に訪れていた場所なので、市の副市長さんはとても感謝しつつ、これからも支援を継続していただきたいとの事でした。
 ゴメリは、州立病院、付属産院とも改装中や一部新しい施設ができ、ミンスク、モーズリの中間的存在のようです。副院長(Dr)や蘇生科の先生から、中村先生に専門的な質問があり、意欲と熱意が感じられました。保健省ではさすがに緊張しましたが、中村先生がこども病院について身振り手振り付きで施設紹介や研修受け入れについて話をしてくださいました。副大臣も熱意を感じてくださり、30分といわれた時間も1時間にも伸び、この医療支援活動を高く評価し、協力活動をしていきたい旨の親書までいただきました。
 病院はミンスク、ゴメリ、モーズリと中央から地方に行くほど差を感じますが、いずれは設備、機器などは地方でも整備されると思います。今後はそれらを使いこなせるDrの育成や情報交換が必要になってくると思いました。
 ベラルーシの気候は長野に近い感じですが、湿度が低いのと、高い山がなく、広大で緑が多く、モーズリに至っては小麦やとうもろこし畑に陽が沈むという感じです。ここが事故により高濃度の放射能で汚染された場所とは思えません。20年以上経た今でもどんな影響が出るのかわからないと思うと、目に見えない分恐ろしく、二度と繰り返してはならない事だと思いました。また勝戦の碑が至る所にあり、隣国と接している緊迫感がうかがえ、島国日本との違いが感じられました。全体的にどの建物も照明が暗く、営業しているのかと疑ってしまうほどです(病院もまた然りです)。しかし日本の派手すぎる照明も考えものです。首都ミンスクにおいては、四車線道路に高級車が行き交い、地下鉄も普及し、私が想像していたのとは違い急成長しているようです。このように、環境や文化の違いも感じられ、これからの活動に生かしたいと思っています。今後、菅谷先生の望まれている息の長い活動をしていくには、支援の形もその時その時で変えていく必要があると思います。今回の訪問を踏まえ、皆で考えてよい結果が出せればうれしいと思います。
 最後に中村先生、佐野先生、通訳の小川さん、お忙しい中ご協力いただきありがとうございました。


ニュースインデックスに戻る

次のページへ