Chernobyl Medical Fund Newsletter (1)


 支援者の皆々様へ

菅谷 昭

(写真1)
(写真1)
(写真2)
(写真2)
  様、その後いかがお過ごしでしょうか。
 それぞれにお仕事や趣味、スポーツ等々、有効に時間を配分され、お元気で毎日を送っていらっしゃることと拝察いたしております。
 いつもながら、当基金へのお心遣いに対し深く感謝を申し上げる次第でございます。おかげをもちましてCMFの医療支援活動は、引き続き着実な歩みをもって進展しておりますのでご安心ください。
 さて昨今の世界の動き、日本の動き、地方の動きを俯瞰するとき、多くの方々は何ともやり切れぬと申しましょうか、もう少し何とかならないものかと、満たされぬ思いで日々を過ごされているのではないでしょうか。
 それにしても一向に行方定まらぬわが国の政治、経済、社会の現状を極めて残念に思っています。もちろん、このような状況は、日本のみならず世界の様々な国々においても、似たり寄ったりのことのように見受けられます。なぜなのでしょうか…。
 いくつかの原因が考えられますが、その要因の1つとして、上に立つ人間の統治能力と確固たる思考の構築の欠如が大きく影響を及ぼしているのではないかと愚考するものであります。国や組織を束ねる人間は、慎重さに裏打ちされた深い洞察力と鋭い炯眼をもって、自らの生き方の哲学を決してブレることなく具現化し、確たる方向に導いていく責任があるものと考えます。確かに人々が何を考え、何を求めているのかを正確に把握することは至難の業でありますが、自らの責務を勇気を持して遂行することが肝要かと思います。

 今夏、5年ぶりにベラルーシを訪れました。かつて見慣れたかの国の大地は少しも変貌することなく、ミンスクからゴメリに移動する車窓に展開する光景を飽かず眺めておりますと、遠き日の様々な思い出が胸中を去来し、久方ぶりに得も言われぬ感動に浸ることができました。
 ゴメリ市ではターニャが待っていてくれました。13年前に手術を受けた、当時12歳の少女(写真1)は、今や25歳、落ち着きのある美しさを秘めた淑女に成長していました(写真2)。彼女は現在の体調や将来設計などについて意欲的に語ってくれ、一生懸命に生きている姿に心からの拍手を送りました。別れ際、ターニャは瞳を輝かせながら、「結婚式の時は必ず来てくれますね!両親も強く願っています」。そして「まだ相手はいませんけど」と、はにかみながら付け加える彼女の両手を、私は思わず固く握りしめ、「また来ますよ」と答えました。
 今回の訪問では、ユーリ医師、ゲナジー医師、タッチヒン医師、皆それぞれに高いポジションに就き、活躍されていることを知り、本当に嬉しく思うと同時に、ベラルーシの医療水準の更なる向上を強く願ったところであります。千原理事長や中村先生の報告をご覧ください。

   こで、もう1つ書かせてください。  来年7月、松本市で第23回国連軍縮会議が開催されることが決定しました。私はこの会議の誘致に際し、市議会での提案説明において、「世界平和につきましては、私がチェルノブイリ原発事故の後遺症に苦しむ人々の治療に携わり、放射能の及ぼす影響の悲惨さを目の当たりにしたことから、核廃絶への思いを一層強くし、私の政治信条の根幹に据えている所以であります」と述べました(写真3)。  先日、会議開催に向け、本格的な取り組みをスタートしたところです。平和への誓いを新たに、多くの若者たちを巻き込み、広く市民の皆様に改めて世界平和について深く考えていただく絶好の機会にしたいと願っています。  今年は皆様にとってどんな年でしたでしょうか。どうか健康にはくれぐれも留意され、新しき年をお迎えください。



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