Chernobyl Medical Fund Newsletter(5)


 CMFベラルーシ訪問に同行して

長崎大学大学院国際健康開発研究科2年 増永 智子

CMFベラルーシ訪問に同行して 現在私は、長崎大学の国際保健分野の大学院に在籍しています。長崎大学は原爆被害の経験を基に、チェルノブイリ事故の被災者への医療支援、研究活動を通して、長い間、ベラルーシとの交流を続けており、首都のミンスクに大学代表部事務所も設置しています。私は今年の4月から11月までベラルーシに滞在し、長崎大学代表部でのインターンシップ及び、チェルノブイリ事故後の精神的影響をテーマとした修士課程の研究を行っています。

今回ご縁があって、CMFの皆さんがいらっしゃることを知り、皆さんの活動を拝見し、それを通してベラルーシの医療に対する理解を少しでも深めたいと思い、病院の視察や中村先生の講義などの活動に同行させていただきました。

皆さんにお会いするまでは、どのように迎えていただけるのだろうかと緊張していたのですが、皆さんの朗らかで温かい迎え入れにほっといたしました。

今年のベラルーシの夏は歴史的猛暑でした。暑さ対策はあまり必要ない国なので、病院にも冷房設備はありません。そんな中、中村先生の新生児医療の講義には多くの医療関係者が集まり、日本の医療を学びたいという彼らの熱意や期待が伝わってきました(写真)。

日本からベラルーシへ帰国されたばかりのオクサナさんとの連携プレイで、ベラルーシの医療従事者にとってより理解しやすい、中村先生の想いが伝わる講義であったと思います。その講義の中で中村先生がおっしゃった「赤ちゃんはみんな生きたいんだ」という言葉を聞いたゴメリの若い小児科医が、大変感銘を受けたと語っていた様子が印象に残っています。彼女は「ベラルーシの小児科医でそのようなことを言う人はいない」と話していました。

ベラルーシ全体の医療レベルはすごく低いというものではないのですが、資金不足による医療機材不足などハード面の問題もさることながら、医療システムや患者さんへの対応やホスピタリティー、説明責任の捉え方などソフトの面で改善すべき部分があるように思います。しかしソフト面の問題は自分たちでは気づきにくいものです。

日本から医療支援を行うことは、医療技術を伝えるだけでなく、なかなか外からの風が入って来にくいこの国の人々に、医療システムや医療に対する考え方を見つめる機会を提供することではないでしょうか。そしてそのことが、ベラルーシの人たちが自ら医療を向上させていくことに繋がるのだと感じます。

チェルノブイリ事故をきっかけに始まった日本からの医療支援。CMFの皆さんはそれを医療交流という形で継続されています。事故から24年が経ち、人々の関心が薄れかけているかもしれませんが、医療交流を続けていらっしゃる姿が、私たちに、忘れてはならない事故を想起させてくれるのだと思います。今回、NGOとして、あるいは菅谷先生のように行政者の立場としてのベラルーシでの活動を間近で拝見できたことは、私にとって大変貴重な経験でした。

5年ぶりにベラルーシにいらっしゃった菅谷先生の、大変懐かしそうに、嬉しそうにされている姿も心に残っています。私が今回の滞在を終えて、また次にベラルーシに来るとき、あのような表情になるのだろうか…と自問してみたりもします。先生がベラルーシを、ベラルーシの人々を大切に思う気持ちにはかなわないかもしれませんが、残りの滞在中、人々との交流をできる限り大切にしていけたらと思います。

最後になりましたが、突然の同行依頼にも関わらず、迅速にアレンジを行ってくださった鳥居さん、小川さん、今回の同行を快く受け入れてくださった、菅谷先生、千原さん、中村先生に、あらためて御礼申し上げます。




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