Chernobyl Medical Fund Newsletter (2)

医療協力活動のまとめ

  1986年4月26日未明、旧ソ連邦ウクライナの北端に位置するチェルノブイリ原子力発電所の4号炉が、全世界を震撼させる原発史上最悪の爆発事故を起こした。
 放出された大量の放射能による地球規模の環境汚染、特に北半球を主体とする多くの国々の放射能汚染を招いたことは今や周知の事実である。なかでも、風下にあたった北隣のベラルーシ共和国は最大の被害を受け、事故後より健康障害をはじめとする様々な放射能災害が増加の傾向をたどり、現在も継続している。
 '91年3月、私は市民による救援グループとともに医療専門家として同共和国の高汚染地を初めて訪れた。以後、現地の小児を対象とする系統的甲状腺検診調査を皮切りに、被災地における医療支援活動に参加してきた。
 '96年1月からは5年間を目処に同国での長期滞在による医療協力を開始し、首都ミンスクの国立甲状腺癌センターにおいて、激増する小児甲状腺ガンの外科治療の技術支援を中心に救援活動を展開した。癌センターでの活動は、現地の医療スタッフらの協力により極めて順調に進み、その結果、甲状腺癌に対する手術手技は国際的レベルにまで達し、加えて医療機器・材料等の供給により劣悪な医療環境も漸次整備された。
 また、同共和国の近い将来の医療を担う若手の医師や医学生への医学教育支援も併せて実施することができた。更に、汚染地域在住(主にゴメリ州)の甲状腺癌術後小児らに対する家庭訪問検診・相談や、住民に対する甲状腺検診にも着手し、3年半後には予想をはるかに上まわる成果を得、当初の主たる目的、「子どもたちに日本と同等の手術を受けさせたい」を達成することができた。
 そこで '99年6月からは高度汚染州ゴメリに居を移し、州行政機関より依頼を受けた州立癌センターでの医療援助、特に甲状腺手術の技術指導を行い、同時に医療器材の支援や、術後児童および一般住民の検診も継続した。その1年半後には州立癌センターでも国際水準の手術が可能となった。
 その後、現地の要請等もあり滞在を半年間延期し、原発より80キロ離れた同州のモーズリ市に活動拠点を移した。ここでは頻回の家庭訪問検診や、住民ならびに15歳以上の若年齢成人の甲状腺検診を重点的に実施し、被災地の行政および医療機関との有機的なネットワークが築きあげられた。なお、これらは今後の支援体制の重要な足掛かりとなるものである。



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