Chernobyl Medical Fund Newsletter (2)

  活動報告(1)

チェルノブイリ医療基金
         2002年7月支援活動報告


【7月16日】夕方松本を北和田氏と出発し、新宿にて菅谷先生、千原晋平と合流、宿泊。成田空港にて慶応大学医学部の学生4人と合流(高野君、加藤君、潟山君、橋本さん)。
【7月17日】11時35分の飛行機で成田よりフランクフルトへ向けて出発、16時35分着。
【7月18日】フランクフルト9時35分の飛行機でミンスクへ。通訳の小川さんと運転手のサーシャが運転する車でモーズリ市へ夕方着。モーズリ市の菅谷先生の診療所があるアパート前でゾーラチカの多くの子供達が花束と特製のパンを持って歓迎してくれました。
【7月19日】モーズリ市市庁舎訪問。市長、副市長、国民会議のメンバー7名が勢ぞろいして我々を歓迎、意見交換をしました。市長の歓迎の言葉は「1986年の不幸が思い出されます。菅谷先生の医療支援は本当に感謝しております。菅谷先生を通して日本に教えられたことが多くあります。それは遠い日本の国から、個人の力で医療支援に来てくれたこと、市の医療関係者に世界の先進医療の勉強をさせてくれたこと、医療だけではなく、文化交流の橋渡しをしていただけたこと(ゾーラチカが日本で報道され有名になり、白い翼の本が出たこと)。モーズリ市のみでなく、ベラルーシ全体に対する明日、明後日の医療支援を多くの市民が期待している、また不足している医療機器を含めた支援も期待しています」と述べられました。菅谷先生よりもこれに応えるスピーチをされ、市長より滞在中は何でも協力していただけるとの約束をしていただきました。また今後我々の支援で医療機器の通関がスムーズになるようお願いをして了解が得られました。
 1時間くらい市職員によるモーズリ市内の歴史ある建物の案内があり、モーズリNO1病院を訪問。院長他外科の医師達と挨拶。モーズリの病院ネットワークの説明を聞きました。NO1病院を中心に各科の外来病院があり、手術の必要な患者は紹介でNO1病院に送られてきて、術後は再び外来病院に通うシステムになっている。
 甲状腺がん等の難しい手術はゴメリのガンセンターに送られるとのことでした。NO1病院の中を案内していただき、カタログハウスより支援された甲状腺ホルモン測定装置(ロッシュ)の設置を検査室で確認しました。大事に使用しているとの事でした。その後、産科病院を見学。小さなNICU室に支援物品の保育器3台(日本製1台)と呼吸器2台がありました。
 小児病院訪問では、院長室でポリクリニカNO2(外来病院)の内分泌内科のサビエツカ・エレーナ先生と事務長が来て、今回持参した小型超音波診断装置(メディソン製マイソノ201甲状腺プローブ付)と専用プリンターの寄贈式を行いました。私と千原晋平は早速ポリクリニカNO2病院3階の超音波診断検査室に伺い、器械の設置及びテスト・説明をしました。この検査室には2台の超音波診断装置があり、1台は旧式の日立製ですが、プローブが壊れていて使用できない状態でした。(写真8P参照)
【7月20日】ミンスクのゲナジー先生、ゴメリガンセンターのタチヒン先生、ルスラン先生が診療所に応援に来てくれ、甲状腺患者の診察をする。モーズリ市の新聞や広報で菅谷先生の診察があること知っている人たちが、早朝より多くつめかけ待っていました。
 アロカの超音波診断装置と今回日本より持参したプリンターの調整を行い、用意万端でスタートしました。昼食も交代で取らなければならないほど忙しく、慶応大学の医学生達も手伝い、総勢230人あまりの人を診察しました。訪れた人達は今までどこかの病院で診療を受けた人ではなく、チェルノブイリ事故による被曝の不安があり、以前よりモーズリで活躍されていた菅谷先生の評判を聞き、自分の意志で来た人達でした。先生の話によりますと、この検診はあくまで先生が直接治療に結びつけるものでなく、異常が見つかった人が今後病院で治療を受けるさいの参考の資料を渡す目的とのこと。
【7月21日】昨日同様の検診で180人の人が来ました。診察時間を決めて終了してもなお遠い地域より遅れて来訪する人があり、全ての人を見きれない状況で肩をおとして帰られる人もいて、来年も必ず来て診察をして欲しいという強い期待感を受けました。その後チェルノブイリ30Kmゾーンに全員で向かいました。高濃度汚染地区の入口には2人の兵士が通行を見張っていました。我々は今回、特別に許可を貰い汚染地区に入りました。見た目は何も変わらない静かな村の風景でした。荒れ果てた学校の建物を見て初めて人々が逃げ出さなければならない悲惨な事故があったんだと実感しました。事故後すぐに殆どの建物は壊して埋めてしまったとのことでした。しかし、今でも放射能に汚染されているはずの村の所々に、強制退去後に戻ってきて暮らしている人を見かけ驚きました。
【7月22日】朝、ゴメリに向け出発。目的は先生が5年間の滞在中に手術をした小児患者の家を訪ねて様子を見に行くことでした。ミンスクで3、4年前に手術した女性3名の自宅を訪ね診察しました。

【7月23日】ゴメリ州立ガンセンター訪問。先日検診を手伝っていただいたタチヒン先生が待っていて、慶応大学の医学生達はタチヒン先生の手術を見学しました。この病院で2001年の甲状腺ガンの患者は80人で、年々増加傾向にあるとのことでした。
 JCFのメンバーが前回訪問時に、不足していると見られる医療機器を、カタログハウスの援助で今年秋に搬入できることを楽しみにしていました。
 3年前に手術をした患者の自宅を訪問診療してモーズリに戻りました。
【7月24日】朝、モーズリを出発。ミンスク空港よりフランクフルト経由成田への帰途につきました。25日夜、松本へ到着しました。
 出発前に手配した免疫検査の器械は、残念ながらメーカーの動き悪くモスクワに送られていて、モーズリに届きませんでした。到着していれば北和田氏が稼働できるようセットする予定でした。我々の帰国後、器械は到着したとの連絡があり、稼働しているものと思います。測定した結果を通訳の小川さんにお願いして日本に送っていただき、次回訪問までに分析しておくことになりました。
 今回の私と北和田氏の役目は、菅谷先生のチェルノブイリ原発事故被曝者の甲状腺がん治療支援に必要なものは何かを確かめることでした。治療現場の人達の要求をそのまま受け入れるのではなく、治療の為に本当に必要なもの、継続供給(試薬、消耗材料)が確実に実行できる体制、供給ルートや機器のサービス体制、受入体制を整えて、長期で継続できる支援を実行しようというのが今回の渡航目的でした。予想通り、10数年前に比べると各国よりの支援で所々に最新の機器が設置されていましたが、消耗品の供給やサービス体制が悪く、稼働していないものもありました。
 今回はモーズリを中心に多くの医療現場を見させていただきました。
 帰国途上で菅谷先生、北和田氏、千原の専門分野が違う人間が三者三様の眼で見て、感じたものを話し合い、次回の支援の方向を決めることができ、今回の渡航の目的は達成できたと感じております。
 渡航中全てのお世話をしていただいた通訳の小川さん、運転手のサーシャ、検診を一生懸命お手伝いしてくれた、明るく研究熱心な慶応大学医学部の4人の学生達、国内で支えていただいている多くの支援者と“じほう”の皆様に感謝いたします。
記:千原 幹司

 



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