Chernobyl Medical Fund Newsletter (3)
活動報告(2)

小さな、小さなチェルノブイリ医療基金

松本事務局初仕事 

 平成13年、菅谷先生がベラルーシから帰国後、医療関係者だけの医療基金松本事務局を開設することとなった。メンバーは、菅谷先生(長野県衛生部長)、千原さん(メディカルエンジニア)、北和田(臨床検査技師)三名による電話もFAX、コピー機も、ましてやメールも出来ない小さな、小さなチェルノブイリ医療基金松本事務局(以下CMF)が、その年の秋、11月松本城お堀端のビル3階に開設された。
 事務局開きも無事終了し、事務局最初の仕事が今回のベラルーシ検診となった。今回の支援内容は、先生が今まで行ってきた検診の続きを行うこと、千原さんは超音波記録計1台を先生の診療室に設置し、そして超音波機器1台と記録計をセットで第二外来病院へ設置すること、検査技師の私は、IgG、IgM、gA、C3、C4の血中濃度を測る大型の免疫検査機器を、日本から直接運ぶのではなく、メーカーのヨーロッパ支社からモーズリこども病院へ届けること、それからモスクワの現地メーカースタッフにより病院医師へ取り扱いの説明をし、保守点検、及び消耗品等の供給ルートを確立すること、及び現地病院を全員で視察しながら、今後の医療支援のあり方を考えることとなった。
 一行は全部で8名。事務局員3名、千原さんの息子晋平さん(ソーシャルワーカー)、慶応大学医学部国際医学研究会学生、加藤、高野、潟山さんの男性3名、唯一の女性橋本さん(写真1)。
 モーズリという町がどこにあるかも知らず、ビザの申請の仕方も知らない事務局員2名が大学生に助けてもらい、四苦八苦しながらも、どうにかフランクフルトに向かう機上の人となることが出来た。
 20数時間の移動で無事モーズリの町に到着。昨年松本に来られた、パレースカヤ・ゾーラチカの子供達が花束とパンで歓迎してくれた。
 翌日は、市役所訪問、市内見物、こども病院、モーズリ総合病院の視察。総合病院ではカタログハウスよりのお年玉の甲状腺ホルモン自動免疫測定装置(Elecsys1010.ROCHE社)が稼働し、更に抗生物質は厳重に保管室に保管され、使用した患者の氏名が綺麗に台帳へ記入されていた。千原さんの仕事である超音波機器を先生の診療室、及びポリクリニカNo2病院(外来病院)へ無事設置することが出来た。
 翌日はいよいよ先生のアパートで検診開始。アパートの入り口には朝7時前から先生に診てもらおうと数十人程並んでいる(写真2)。スタッフは菅谷先生、ミンスクのゲナジー医師、タッチヒン医師(ゴメリ腫瘍センター・頭頚部外科部長)、ルスラン医師(ゴメリ腫瘍センター医師)、慶応大学医学部学生4名で、9時いよいよ検診開始(写真3)。次から次へと触診、エコー、診断と、さすが手馴れたものであり、医師のチームワークの良さが目立つ。午前中100人前後の検診を終え食事をとる。この間も20〜30人がおしゃべりをしながら、外で待っている。午後1時再開。夕方4時位まで列は途切れることがなかった。全部で233人で検診は終了。翌日も朝早くから外が騒がしい。昨日同様列が出来ている。午後3時検診終了。しかしその後2人、3人と住民が検診に来て、先生は断ることが出来ず、診察する。
 この日は全員揃って30kmゾーンへ行く。以前行ったウクライナの30kmゾーンはまるで観光地のようであったが、そことは異なり、2人の兵士が静かに見張っているだけで、いつでも中に入れそうである。高濃度汚染地域のナローブリャ村は、事故後村全部を土の中に埋めてしまった。翌日は、ゴメリ腫瘍センターを訪問した。最近新しく別の場所に移り、頭頚部科だけが古いところに残っており、殆どの検査は新しいセンターで行い、古いセンターでは血液検査、及び生理検査(心電図)だけを行っていた(写真4)。
 10年前のチェチェルスクの病院、5年前のミンスクの病院、そして今回のモーズリ、ゴメリの病院見学で感じた事は、検査室の設備、検査内容等が非常にゆっくりではあるが変化してきている事であった。学生達はタッチヒン医師の手術に立ち会う。その後全員で菅谷先生が滞在中に手術された3名の患者の家庭訪問検診を行う。ゴメリにある2家族とも、平日なのに一家総出で出迎えてくれ、帰る際、来年も来てくれるのか、との質問に先生もうれしそうにハイハイと返事をされていた。
 今回の検診に同行して一番強く感じたことは、人間の和の大切さ、医は仁術であり算術ではないということでした。日々医療に携わる私が忘れてしまったことを思い出させてくれる旅でありました。
 今回私にとって最大の難関、大型の免疫機器を新たなルートでベラルーシに送る事は、スムーズに事が運ばず、日本に帰ってからようやく無事、こども病院に着き、モスクワの駐在技術者もこども病院に行かれたとの連絡が入った。前準備さえ十分にやっておけば、医療機器の援助はこのルートで、消耗品から大型機器までベラルーシの病院へ送ることが可能となった。
最後に、入国から出国まで面倒をかけっぱなしの通訳の小川さん、運転手のサーシャさんに感謝します。東京にいながら我々の支援を見守ってくれた“じほう”の鳥居さんに心より感謝します。今後とも小さな、小さな医療基金(CMF)をよろしくお願いします。
記:北和田 修介 



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