Chernobyl Medical Fund Newsletter (2)



★ 突然の事故から考える
 先月、東京で講演を行いました。聴衆は医療系の学生たちで、全国から400人以上が集まってくれました。そのとき、私は彼らに次のような話をしました。「今はこんな時代だから、ここ日本でも突然の死は起こり得ます。“生きる”ことをよく考えておいた方がいいですよ」。彼らはまだ若いですから、私の話はいささか唐突に聞こえたのでしょう。実感が持てないでいたようでした。ところがその2日後、JR福知山線の大惨事が起こってしまいました。この日たまたま乗り合わせた若者を含む大勢の方が、突然の死を迎えてしまったのです。早速、東京で受講した学生たちが連絡をくれました。彼らは口々に「菅谷さんの言っていたことが正しかった」「あらためて自分の命を振り返った」と言っていました。誰もが突然の死を背負っていることを、あらためて思い知らされる出来事でした。
 私も、市民の生命と財産を守る責任のある首長として、今回の事故に無関心ではいられません。様々な問題点が指摘されていますが、私は根底には「いのち」の捉え方が希薄となったこの社会の矛盾といいますか、不条理が見え隠れしていると感じています。組織や時間やコストといった、既存の社会のありとあらゆる制約に、皆が疑問を持っています。にもかかわらず、各々が自分で行動できること、行動すべきことを見失い、勝ち組・負け組などという価値観がはびこる中、毎日窮屈に暮らしています。私が時折「量から質」という言葉を口にするのは、私たち一人一人がこの悪循環を断ち切って「いのち」の質を高めていかなければ、人類の未来は危ういと痛切に感じているからです。
 昨年本市が実施した防災意識調査では、市民の皆さんは地震のような災害の発生に不安を抱いてはいるが、食料の貯蓄や家具転倒防止などの具体策をとっている人は少ないという結果がでました。私は、皆さんにも“生きる”ことをよく考えて欲しいと思います。いつでも起こりうる突然の死に照らして、一人一人が「いのち」に対してできることをするというのは大事なことです。行政として最大限の安全確保や様々な状況整備を図る一方で、皆さんの「自助」は不可欠です。世相に漂う不信感や不安感は、裏返せば「自助」のない人が増えたからなのだといえないでしょうか。地域や仲間同士の助けあいも、市民と行政との協働も、個人の努力があってこそのもので、「自助」のない「共助」「公助」はありません。成り立たないのです。
 私という一個人、一外科医が、市長をしているわけですから、やはり私個人の「自助」、たとえば市政の現場におけるものの見方や判断、あるいは努力がございます。ですから、これから予定している市民の皆さんとの懇談会でも、私という人間の考え方を知ってもらいたいという思いが含まれております。私は、市民が「いのち」を輝かして行動しあえる松本市になってほしいと願い、また皆さんがそう願ってほしいと思い、日々市政の舵取りをつとめております。皆さん、ともにいいまちをつくりましょう。



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