Chernobyl Medical Fund Newsletter (1)


 支援者の皆々様へ

菅谷 昭

 

 皆様、その後もお変わりなくお元気でお過ごしのことと存じます。私もお陰様で、連日忙しく公務に励んでおりますのでご安心ください。
 さて、今年も様々な出来事がありました。嬉しいこと、心を痛めること、信じられないこと等々、数えあげれば切りがありません。ただそれにしても、「えっ、なぜそんなことが」と、日々、一生懸命前向きに生きている私たちの気持ちを逆撫でするような事件や悪事には、腹が立つというよりは、むしろあきれてしまう思いに駆られます。
 そしてこのような現状を深慮する時、「どうして日本はこうなってしまったのか」を、あらためて一人ひとりがもう一度、しっかり立ち止まって考えてみる必要があるのではないでしょうか。そんな大人たちが1人でも多く増えてほしいと願うばかりです。
 ところで本年も、市内や県内外等、様々な場において講演を依頼され(できるだけお断りしているのですが)、私なりの言葉で、かつ独断と偏見も含まれていることをお許しいただき、ざっくばらんに話をしてまいりました。多くの場合、「大学病院からチェルノブイリ、そして市長へ」といったタイトルを付して、“なぜチェルノブイリにかかわったのか”、また、“なぜ市長職に就く羽目になったのか”などといったことを、正直に述べさせていただきました。ここで、それらのうちの1つを紹介させていただきます。
 松本市内の某中学校での生徒たち自身が運営する総合学習の場で、スライドを使って話をさせていただきました。生徒諸君が真剣に耳を傾けてくれ、大変嬉しく思いました。後日、お礼のお手紙をいただきましたので、その全文を掲載させていただきますのでご覧ください。


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 先日は大変参考になるお話をしていただき、誠にありがとうございました。チェルノブイリ原発での出来事。大量の放射性物質が大気中に放出されていて、とても驚かされました。その空気を何の罪もない子どもたちが吸い、甲状腺ガンになってしまったのはとても恐ろしく、悲しいことだと思いました。そんな恐怖感のある国に助けに行ってきた菅谷市長さんは、ベラルーシの人たちにとってはヒーローだったと思います。自分の勤めていた病院までも辞め、夢と希望を与えるお手伝い。それがチェルノブイリ原発事故だった事は、すごく良いことだったと思います。そのおかげで、手術方法を学べる人や、命を救われた人が何万人、何千万人もいると思います。そして、その事をしてきた市長さんは、希望を与えるお手伝いができたのではないでしょうか。
 最後の映像で、手術をしてもらった子どもたちが、「お医者さんになりたい」と言っていた、それは菅谷市長さんが与えた夢だと思います。知らなかった事をたくさん学べる事ができて良かったです。
 私は保育士を目指しているのですが、市長さんみたいな、子供に夢や希望を与えてあげられるような保育士になりたいと思います。
 本当にありがとうございました。
 お体を大切にますますご活躍ください。


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 これまでも、多くの少年少女たちからこのようなお礼状をいただき、彼らの鋭い感性に加え、優しさ、心のあたたかさに深い感動をおぼえています。私のつたない話が少しは役に立ったかなと心の中でつぶやきながら、あらためて、「他人に与えた影響の総量がその人の一生の価値を決める」という言葉をかみしめています。それにしても、“お前は、希望を与えるお手伝いをしてきたのだ”と指摘され、正直言って、はっとしています。
 今この挨拶文を書いていて、突如気がついたのですが、今回のニューズレターは20号と、まさに節目の号であります。
 ひょっとすると「チェルノブイリ医療基金」の設立以降、10年が経過するのではとも思っています。私がミンスクに滞在していた折りの当基金設立以来、今日まで長期にわたり、これまでのささやかな医療支援活動を、大所高所からあたたかく見守り支えてくださいました多くの支援者の皆様に、あらためて衷心より感謝申しあげる次第でございます。
 現在、私自身の生き方が、何か“運命”とも言うべき波に翻弄されており、極めて不安定な中で、心優しき仲間たちに支えられて、この活動を継続させてもらっております。細々とでも長く続けることに、本基金の使命と存在価値があるものと信じております。併せて募金の折りにいただく皆様方からの激励のお言葉に、いつも勇気づけられております。本当にありがとうございます。来年も佳き年でありますことを心よりご祈念申しあげます。




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