Chernobyl Medical Fund Newsletter
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2009年

ベラルーシ訪問報告記

                 千原 幹司

【5月28日(木)】
 09年CMFベラルーシ訪問団は午前9時35分のルフトハンザ航空にて成田を出発、フランクフルト空港に14時15分到着、約11時間30分の空の旅でした。
【5月29日(金)】
 フランクフルト空港10時45分発でミンスク13時30分到着、保健省に向かう。
 15時30分にシェフチュク副保健大臣に会い、昨年親書でいただいた宿題について話す。
 18時より市内のレストランでゴメリのタッチヒン先生、ミンスクのゲンナジー先生と食事会。
 ゲンナジー先生は日本での研修は最高で、特に菅谷先生には大変世話になったことを話され、タチヒン先生は甲状腺の手術を毎日のように実施し、不健康な生活が続いているとのことでした。 
【5月30日(土)】
 10時よりミンスクの国立医療研究所RNPC“Mother and Child”の講堂にて中村先生の講演会。 44名の小児・産科のドクターが集まっていました。
中村先生の演題は新生児の救急蘇生で、スライドとベビーの人形を使い1時間にわたるものでしたが、全員が熱心に聞き入り、ノートを取り、最後まで誰ひとりとして席を立ちませんでした。
 また講演後は10数人のベテランドクターらしき人達から中村先生の治療の手技、実績、使用薬剤等、多岐にわたる質問。質問内容もかなりレベルが高く、当研究所の所長と医師の間でその内容について議論が起きるなど、会場は熱気を帯びた状況になりました。
 最後に講演のスライドをUSBメモリーにコピーさせてほしいという先生方が7人も中村先生のところで順番待ちをしました。
 中村先生の講演は、ミンスクの小児や産科医の臨床現場ではまだ実行されていない治療方法や、こども病院の診療体制や組織、役割の違いなどについては、今後ベラルーシの小児医療の参考になるであろう。(中村先生の写真を撮る人やサインを求める人もいました)
 12時50分、市内のベラルーシ医科大学を訪問。ベスパルチョク学長と国際部長に会い、中村先生が昨年訪問のベラルーシ小児医療機関で感じた感想や今回の講演について話しました。
 学長いわく、訪問予定が早く確定していれば講演の参加者ももっと多くあったと思い残念です、また昨日、この大学の小児学部全員1500人への講義があり、それの特別講演もやってほしかった、来年はぜひお願いします、とのことでした。
 14時10分、ミンスク甲状腺ガンセンターのデミチェク教授に面会、菅谷先生からの質問「甲状腺のその後はいかがですか」に、被ばくした1500人のこども達の治療を行い、出産する母親となる200人を観察していて不安があるとのこと。また、障害を持った人たちは現在少なくなっている。原発の事故後は5カ国くらいから医療支援があったが、現在は日本とドイツだけになったこと、現在、手術患者等についての交流は長崎大学との関係が深くなっているが、手術については菅谷先生の手技がオリジナルとなっている。と話されていました。
【5月31日(日)】
 ゴメリに移動、18時に静岡大学よりゴメリ大学に交換留学で来ている坂本龍太朗君と夕食を囲む。
 彼の留学は1年間で今年9月に帰国予定だが、次はポーランドの留学を考えているとのことで、ロシア語は流暢で英語も話せる優秀な学生、将来はユニセフ等人道支援の機関で働きたいとのことでした。
【6月1日(月)】
 ゴメリ産院の講義室で講演。
 この講演や日本への研修医師の面接応募のためにお世話をいただいたパラノフスカヤ教授や産院の院長と再会。64名の小児・産科の医師で会場は一杯となり、講演のスライドや、中村先生のベビー人形を使った蘇生方法の実演に感心していました。
 月曜日の忙しい日にもかかわらず、ゴメリ州立病院付属の院長や小児科医と市内の病院の院長も参加。
 13時より質問を受けましたが、質問内容は、県立こども病院の規模、死亡率、死亡したベビーの原疾患は何か、受け入れ年齢、治療方針は誰が立てるのか(決定は)、国(厚労省)からの指示指導はあるのか、日本では正常分娩は家庭か病院か、等からはじまり、蘇生は何分であきらめるのか、エピネフリンは何回投与であきらめるか、濃度は、など詳細な内容に入り、保温にラップを使用していることや、最小何グラムのベビーを助けたのかに対し、先生が360gと答えたときは驚きの声が上がりました。
 その他にも16件くらいの質問攻勢があり、中村先生は汗だくで答えていました。
13時45分頃終了。
 休憩後、日本への研修医師の面接。
 1人10分で7人の面談の結果、英語での対応がほぼ完璧にでき、質問内容についても明快な回答をもらえたのは1人だけでした。講演終了時に2名の40歳の男性医師や、昨年新生児医療の現場で活躍していた男性医師からも研修応募資格が今回35歳までは変更できないのかという英語による問いもありましたが、今回は公平さを欠くのでと断り、来年は制限についても検討しますと返事しました。
 昼食抜きで講演会及び面談をしたので、夕食は17時に市内のレストランでしました。
 小川さんの息子さんも出張でゴメリに来ていて、一緒に食事と会話を楽しみました。
【6月2日(火)】
 8時にゴメリ出発、12時ミンスク空港到着
 14時30分ルフトハンザ機にてフランクフルト移動【6月3日(水)】
 フランクフルト14時20分のルフトハンザ機にて成田到着は6月4日の朝8時でした。
 松本には16時到着で新型インフルエンザを心配し、タミフル等の薬剤を持参しましたが、全員感染の様子もなく元気に帰国しました。
 今回は保健省の副大臣やゴメリ医科大学のパラノフスカヤ教授に会い、昨年宿題としていただいた日本の新生児医療についてベラルーシの医師との講習会や研修会を開催することなどの知識の交流を図ってほしいとの要望を実行することを主に訪問し、その手始めにミンスクとゴメリの2カ所での講演会を開催しました。中村先生の新生児蘇生の講演の反応は予想以上で、ベラルーシの小児・産科医師の今後の治療現場において大いに役立つ内容であり、医師達が日本の新生児医療の体制や現場のことをもっと知りたいということを感じました。
 また日本への研修応募医師7人との面接もでき、今回の訪問の目的は十分達成できたと思います。
 中村先生にはこれらの全てにおいて、大変な活躍をしていただき本当にありがとうございました。
 またこども病院の宮坂院長先生、菅谷先生には新インフルエンザ問題で訪問が実行か中止かをぎりぎりまで迷い、決定の判断を委ねるなど大変ご迷惑をおかけしました。
 最後にお手伝いいただいた橋本先生や坂本君、そして通訳の小川さんに感謝いたします。

          



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