Chernobyl Medical Fund Newsletter (1)


 支援者の皆々様へ

菅谷 昭

4月20日付信濃毎日新聞より
4月20日付信濃毎日新聞より
  様方におかれましては、その後も大過なくお過ごしのことと存じます。併せて、日頃より当基金へのご高配、そして支援活動に対する深いご理解、ご協力を賜り、心より御礼申しあげます。

 さて本年1月初旬、ベラルーシのゴメリから医学研修の目的で招いたテスロバ医師が、4月の中旬に来庁くださり、中間報告をいただくとともに、彼女が持ち前の優れた能力を存分に発揮され、有意義な研修生活を送っていることを知り、大変うれしく思った次第です。その詳細については、今号で、指導にあたった中村医師が報告しておりますのでご覧ください。

 テスロバ医師の活躍は、今後の当医療基金の事業を評価、検証する上でも極めて重要なことであると考えています。6カ月間の研修成果を、汚染地に生きるあまたの病める乳幼児たちに、あまねく反映していただくよう切に願っております。

 朝、国宝松本城の堀のわきを通り、木々の緑が日を追うごとに色濃く変化する様に目を見張り、自然の織りなす豊かな恩恵に感謝しつつ、市役所の門をくぐっています。皆様が住まわれているそれぞれの地域においても、きっとこのような多彩な緑の競演が展開されているものと推察しております。  私がベラルーシの国に住み始めた最初の年の1996年7月8日の日記に、こんなことが書かれていましたので、ここにそのまま記させていただきます。


 このところ、近道を通って病院まで出かける。アパートを出ると短い距離ではあるが、木立の深い緑に囲まれた道を歩く。それも少し歩調をゆるめて。なぜか分からぬが、とても気持ちが落ち着く。  緑は目に対してだけでなく、精神的な面にもよい影響をあたえるのだろうか。あるいは視覚的刺激が、心や脳に伝えられ、その結果としてすがすがしい気分になるのだろうか…。  まあそんなことはどちらでもよい。少なくとも体によいことだけは確かだ。人間は自然に対し、本来の五感をもっと研ぎ澄ませて、わが身を置くべきではないのか。しかし現実には、このような感覚をはるか遠くに置き忘れ、愚鈍な日々に明け暮れている。  自分が、日本ではあまりにも仕事中心に送った年月のことを思い返すとき、具体的な言葉ではうまく表現できないが、何か大きなものを失ってきてしまった気分に襲われる。  この国での季節豊かな暮らしを大切にしたい。

 ベラルーシから帰国して以来、もう9年が過ぎてしまいました。土、日もないような今の生活を思う時、自分はまたしても大切なものを失いつつあるのかと悩んでおります。そして、“愚鈍な日々”とまで書き込んだその文言に恐怖さえも覚えています。

 やはりこれは何とかしなければいけない。さあ、どうしようか…。

 そうだ、ベラルーシに行ってみよう!そこには何かが私を待っているかもしれない。

 月下旬、市民の皆様にお許しをいただき、束の間の旅ではありますが、国際医療貢献を継続する目的の下、千原理事長、中村医師とともに出かけてきます。その結果につきましては、次号で報告させていただきます。  北国の高く青く澄んだ空、さわやかな風の響き、そして懐かしい人たちとの再会を胸に。

 梅雨のうっとうしき折柄、くれぐれもご自愛ください。



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