チェルノブイリ原発事故

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ベラルーシ共和国とチェルノブイリ事故

ベラルーシ共和国は1991年8月、ソ連邦が解体した後に建国された独立国家共同体(CIS)のひとつで、ヨーロッパ中央部に位置する国です。この総面積は日本の約半分で、人口は1100万人余りです。首都ミンスクで、人口は200万です。同国は6州(ミンスク、ゴメリ、モギリョフ、ブレスト、グロードノ、ビーチェブスケ)よりなっています。

農業、畜産、林業などが主たる産業で、豊かな自然と広大な大地に囲まれた美しい国です。ただ大変残念なことは、長期にわたる経済不況のため、国民の多くが、日常生活上困難を強いられています。特に、年金生活者や病人など、弱者層が直撃を受け、深刻な状況にあります。

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チェルノブイリは、ベラルーシ共和国の国境近くのウクライナ共和国にある小さな町です。1986年4月26日の未明(午前1時23分40秒)、チェルノブイリ原子力発電所の4号炉で爆発事故が発生しました。4号炉が定期検査で運転停止するのを機会に、蒸気発電機タービンの惰性による空回りを利用して、緊急時の発電を行う実験中に起きた事故(旧ソ連政府の報告による)でした。

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原発史上最悪の事故により、放射物質は、主にベラルーシ、ウクライナ北部、ロシア西部の広範囲に降下しました。特に、ベラルーシでは、国土の20パーセントが長半減期の核種(その大半はセシウム137:半減期は約30年)による汚染にさらされてしまいました。

事故直後、大気中に放出された放射能雲の中には、大量の放射能ヨウ素131が含まれていました。初期の噴煙は、ベラルーシ全土の60~70パーセントを覆い、ビーチェブスク州など北部の地域だけが汚染されていないと考えられていました。しかし、厳密にいえば、程度の差こそあれベラルーシ共和国が汚染されてしまったのであります。

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チェルノブイリ事故前は、220万人が汚染地域に住んでいました。そして、現在も180万の人々が住み続け、そのうち48万人が20歳未満の若年齢者です。原発より半径30キロメートルの範囲内にある地域は、人命に危険を及ぼす区域と指定(30キロゾーン)され、住民は強制退去を命ぜられました。もちろん、現在も原則として移住は認められていません。けれども、現実には時がたつにつれて、ゾーン内に戻り、再び生活を始めた人々が増加しつつあります。

血と心につながる故郷を、さらには溢れるばかりの天と地の恵を、彼らは忘れることができないのです。一方、皮肉なことに、不況に見舞われる政府もこれを黙認せざる得ないのが現状です。