Chernobyl Medical Fund Newsletter
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青空の松本で

   
 
通訳 宮尾 彰   

 ゴメリからの医学生4人を松本にお迎えしたのは、お盆の直前、ちょうど駅には帰省する人が降り立ち、街では人々がお墓に供える花を選び始める頃のことでした。
 ここ日本では「いのち」について思いをめぐらすのにもっともふさわしい季節と言えるでしょう。初日夜の歓迎会。山のような公務を終えた菅谷先生を囲んでの和やかな宴となりました。12日間を長崎で過ごした直後のこと、まだ見慣れぬ松本の街に多少の不安も混じった表情でした。
翌11日は朝食後からスケジュールがいっぱいでした。
 9時には先生の母校・信州大学医学部付属病院を視察。院長室で表敬訪問を済ませ、緊急医療センター、検査室、放射線科、精神神経科、そして最後に衛星通信を使った遠隔治療室を見学しました(写真左)。
 それぞれの科で担当の方から主に英語で説明がなされ、彼らも積極的に質問をしていました。廊下の天井近くを試験管に入った血液が運ばれる様子や、おもちゃがたくさん置かれた広いプレイルーム(子どものための精神科医療用)が特にめずらしかったようです。
 およそ2時間の見学を終え、一行は菅谷市長の待つ市庁舎へ。来年、市政100年を迎える市庁舎は、お城の堀の前にあり、玄関は色とりどりの花で囲まれていました。
 広い応接室でしばし休憩。やがて市長室から現れた菅谷先生との歓談が始まりました。昨夜の歓迎会の話題や、病院の印象など、ようやく彼らもエンジンがかかってきた様子でした。中でも、先生から示されたベラルーシの国家勲章には全員が目を丸くして見入っていました。
 最後は、記念に市長からかわいらしい手鞠がプレゼントされて会見は終了しました(写真下)。
 いよいよお楽しみの松本城。朝から「お城には何時ごろ行くの?」と何度も聞いてくるほど、関心があったようです。門をくぐるなり記念撮影の嵐で、なかなか前には進めません。千原さんと私は時計とにらめっこ。
 市長のお取り計らいで、ベテランのガイドさんが特別コースでご案内くださいました。最上段まで上がる間にも、見るもの聞くものすべてが彼らにとっては本当にめずらしく、興味深いようで、まるで小学生のようなはしゃぎぶりでした。最後は殿様が座っていたという座布団に特別に座らせてもらい、ポーズを取っていました。
 お腹が空いたところでお城の前にあるお蕎麦屋さんで昼食。上手にお箸を使うマリーナ。ほとんど手が付かなかったターニャ。おそるおそる蕎麦湯を飲むラマン…。デザートはすぐおとなりの喫茶店で有名なアイスクリームをいただきました。お味は二重丸だったようです。食休みを兼ねて大通りのお土産やさんをショッピング。女性は浮世絵の風呂敷、ラマンはレプリカの日本刀がお気に入りのご様子。
 いよいよカーチャさんが研修中の県立こども病院に向かいます。お天気にも恵まれ、車窓からの眺めも最高でした。
 院長室では院長先生から日本の心「茶道」のお話もいただき、歓談。続いてカーチャ先輩の案内で彼女が研修している新生児病棟を視察させていただきました。
 白衣とサンダルに着替え、特別に配慮された病棟に入りました。ほんとうに小さな赤ちゃんたちが、ガラス箱のような保育器の中に眠っています。お母さんと看護師さんが優しく見守ったり、一緒にお風呂に入れてあげたりしていました。
 4人の学生に説明を続けるカーチャさんの声が静かに響きます。ここで、彼らの心に何が去来したでしょう。私自身にとっても、忘れがたい印象が残りました。
 大仕事を無事終えたカーチャさんも加わり、今日の予定を全て終えた一行は松本へと戻りました。これから夕食までは自由時間です。年長のマリーナから「この街で一番大きい百貨店が見たいんです」とのリクエストがあり、私たちは若者が集うビルに入りました。ここで4人のクラサービッツア(美女)たちは疲れも吹き飛んだかのような笑顔で約2時間ショッピングを楽しみました。私とラマンはといえば、荷物を手に「おまえの国でもこういうものか?…」と苦笑い。
 最後の夕食は菅谷先生も時々行かれる串揚げ専門店で。宮田さんの案内で、明日、東京までガイドしてくれる鳥居さんもお迎えして生ビールで乾杯!庶民的な雰囲気の中、美味しい串揚げをほおばりながら、カーチャさんは心行くまで母国の後輩たちとの会話を満喫されていました。
 …こうして4人の学生たちは2日間の短期間ながら、松本の街と人を存分に堪能したのでした。



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