Chernobyl Medical Fund Newsletter
 (7)


ベラルーシ医療現場を視察して

   長野県立こども病院新生児科医師:佐野 葉子


 

 7月25日から31日に、ベラルーシを訪れる機会をいただき、ミンスク、モーズリ、ゴメリの様々な規模の産院、病院を見学させていただきました。2006年に、チェルノブイリ医療基金の招きにより、エカテリーナ・チェルニショワ(カーチャ)医師が長野県立こども病院で研修を行った際に、私とペアを組んだこともあり、今回同行させていただきました。


 1986年に起きたチェルノブイリ原発事故当時は、私は高校生で、テレビニュースや新聞を通じ、ソ連で大変な事故が起き、放射能汚染がヨーロッパにひろがっている。くらいしか記憶がなく、遠い国の出来事として実感はありませんでした。菅谷先生のベラルーシでの医療活動は、2003年のNHKの番組「プロジェクトX」などで知り、感銘を受けたものの、多くの被害を受けたベラルーシについては、どこにあり、どんな国なのかも知りませんでした。今から思うと、カーチャが研修に来たのをきっかけに、もっとベラルーシやカーチャが働いているモーズリの医療事情や、20年たった今、何がベラルーシ国内で問題となっているかなど勉強すれば良かったと反省しています。


 さて、ベラルーシへ旅立った頃の日本は、うだる様な猛暑が続いていましたが、ベラルーシでは日中は射すような日差しでも、朝夕や日陰はかなり涼しい毎日でした。CMFの北和田さんや、今回ご一緒させていただいた千原さんから、ベラルーシのホテル、道路の整備などがまだまだ遅れているという事を聞かされていたため、かなりの田舎を想像していましたが、首都のミンスクや第2の都市ゴメリは緑が豊かで、高層のアパートが立ち並び、道路も補整され、ベンツやBMWなどの高級車も多く走る綺麗な都市でした。モーズリは、まだ近代的な建物は無く、一歩町の外に出ると、小麦やとうもろこし畑が一面に広がる農村地帯といった感じでした。いずれにしても、20年前のチェルノブイリ原発事故がここからすぐ近くで起きたという事実を知らなければ、放射能汚染問題がいまだに残っている国だという事は全く感じられませんでした。


 ベラルーシでは、医療が4段階に分かれており、第1段階が地方の診療所、第2段階がモーズリなどの市立病院、第3段階がゴメリやミンスクの州立病院、第4段階がミンスクの国立病院にあたり、重症な階の病院であるモーズリやゴメリの産院、小児病院を3カ所、第3段階の病院を6カ所、第4段階のミンスクの国立医療研究所「母と子」を見学しました。最近では、ベラルーシ保健省が医療に力を入れ始め、また各国の援助もあり医療設備は整いつつあるそうですが、まだまだ各病院格差が大きく残っています。それは、超音波診断装置や人工呼吸器などの医療機器や病院の改築に反映されていました。
 それに加えて、各地方から第3、第4段階の病院への搬送距離がとても長く、その手段も整っていません。搬送手段は救急車で、モーズリからゴメリまで約2時間、モーズリやゴメリからミンスクまで4〜5時間と搬送時間は長時間になるため、当然搬送途中の状態悪化も考えられます。もちろんヘリコプター搬送も無く、設備が整った救急車も足りないそうです。また、長野こども病院では、病院内に新生児科、外科、脳神経外科、循環器科などがそろっており、新生児期の病気に関しては、NICUで新生児科医が全身管理をしています。ベラルーシでは専門分野ごとに病院が別れているため、新生児でも外科手術などが必要な時にはその専門病院に転院する必要があり、成人や小児の病室の中に保育器が置かれ、そこで管理されることもあるそうです。これらの点に関しては、まだまだこれから改善しなければならないと、ベラルーシの先生方も口にしていました。チェルノブイリ事故の影響が考えられる周産期死亡や先天異常が明らかに増えている統計は無いそうですが、日本の医療技術や情報を伝えることにより、病的新生児の診断や治療に貢献できるのではと思いました。
 ベラルーシのどこの病院も電熱費削減のため、ほとんど電気はついておらず廊下は薄暗いのですが、病室には沢山の光が入り、窓からは緑が綺麗に見え、ホッとするような暖かい雰囲気でした。ベラルーシの医者の仕事内容や当直回数は、ほぼ私達と変わらないのに日本では考えられないような安い給料だそうです。ある女医さんは、「本当にこの仕事が好きで、人を救う気持ちが無ければ続けられない」と言っていました。また、ある新生児科の先生は具体的な治療方法を聞いてこられ、短い間でしたが白熱した議論になり、熱意をとても感じました。
 この訪問を通じ、自国の医療をさらに発展させようとするベラルーシの先生方の熱い思いを知り、自分のできる範囲で、いまだ放射能汚染の影響が心配される中、生まれてくる子供のために、これからも何らかの形でかかわっていきたいと思いました。




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