Chernobyl Medical Fund Newsletter (1)


◆支援者の皆々様へ

菅谷 昭


 
年も様々な出来事が、これでもか、これでもかと噴出し、私たちは、日々、驚いたり、嘆いたり、時にはちょぴり喜びをかみしめながら、それでも一所懸命に生をつないでいます。
 皆様方におかれましては年末を控え、それぞれに何かとご多忙のことと存じますが、お元気にお過ごしでいらっしゃるものと拝察いたしております。併せて、当基金への変わらぬご支援に、心より感謝申し上げます。


 て、前号(21号)でお伝えしました、本年度の最大事業であります「ベラルーシ訪問事業」の報告会を、11月9日の日曜日、松本市民活動サポートセンターにて開催しました。詳細につきましては別稿をご覧いただきたく存じますが、このような会は、正直のところ市民対象に実施しても、なかなか人が集まらず苦労致します。しかし、私はいつも思うのですが、一番大切なことは、たとえ人数が少なくても、当該事項に関心を持ち、真剣に考えていただける方が参加して下されば、それで十分であり、その目的が果たせたものと考えています。私が市政運営において常々申しあげているところでありますが、まさに「量より質」なのであります。そしてもう1つ大切なことは、地道に継続することであると考えます。
 回の報告会では、私も「チェルノブイリ医療支援:将来の方向性」とのタイトルで、若干愚見を述べさせていただきました。その折、チェルノブイリ医療基金の最重要使命の1つである医療技術支援について、2年前のチェルノブイリ事故後、20周年目の新聞特集記事の一部を紹介させていただきました。県内最大手の信濃毎日新聞の編集委員の飯島裕一氏がベラルーシを訪れ、私がかつて大変お世話になった国立甲状腺ガンセンターの現在の最高責任者ユーリー・デミチク医師にインタビューし、彼がこう答えていました。飯島氏:「96年から5年半ベラルーシに滞在した菅谷医師に学んだことは」、デミチク医師:「仕事でも、人間関係でも非常にいい時を過ごし、ベラルーシの甲状腺手術は『日本式』になった。彼は、その技術を持って来てくれた。(手術による合併症である)副甲状腺の機能低下が10年前に比べて25分の1に減ったのも、彼のおかげだ」
 これを読んだ時、私はチェルノブイリ医療基金の支援者の皆様に心からの感謝を覚え、自らの行為が多少でもお役に立ったのかなあと、感慨を新たにしました。小さなことかもしれませんが、一国の外科治療の手術方法が日本式になったとは!ここまでくれば、少なくとも当基金の主要目的の1つである技術支援は終了し、次のスッテプに向けて進むべきであろうと申しあげました。今後は、周産期医療の専門家の養成支援、また現地医療機関並びに医療者との定期的交流、更には国家機関(保健省)等との協力事業などを見据えて、活動を展開していくべきであろうと述べさせていただきました。幸いなことに、県立こども病院の宮坂勝之院長並びに中村友彦医師も、大変好意的に対応してくださっていただいており、改めて心から感謝を申しあげます。
 に、過日、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の前駐日代表の滝沢三郎氏(松本市近郊出身)が、高校時代の同級生らと市役所を訪問して下さいました。滝沢氏は、郷里の若者たちに、国際問題、とりわけ難民受け入れ問題への関心をより深めてもらいたいとの思いで、旧友たちに呼びかけ、映画祭を企画したことを話してくれました。彼は、私がベラルーシで医療支援活動をしていたことを知っていましたので、余計親しみを込め、これまでの様々な体験や心情を熱く吐露して下さいました。そして「信州発の国際貢献活動を活発にしていきたいのでよろしくお願いします」と、意欲的に語る姿がとても印象的でした。そこで私が、「松本市を“人道都市”として、内外に大きく広げていただけたら大変うれしいです」と答えると、彼は目を輝かせて、「人道都市!これはいい言葉だ。私は気がつかなかった。いいですねー、この言葉は」と言いました。私とほぼ同年代の旧友の方々も、「まだまだ小さな組織ですが、一歩一歩進めていきます」と笑顔で話してくれました。
 現在、日本の政治や経済を動かしている人々は、一体これからのわが国をどの方向に導いてくれるのか。私も小さな基礎自治体の長ではありますが、今こそ市民が何を考え、何を求めているのかを注意深く考察し、よりよい“まちづくり”に努めて参らなければとの思いを強くしています。
 この一年、皆様から賜りましたご支援ご協力に厚く御礼申しあげますとともに、佳き新年をお迎えくださいますよう念じております。



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