Chernobyl Medical Fund Newsletter (1)


 支援者の皆々様へ

菅谷 昭

 2年振りのベラルーシ訪問
 

 昨年3月、松本市長に当選した際、私が懸念した事項のひとつに、「チェルノブイリ医療支援活動」のことがありました。その理由は、ベラルーシから帰国後に知事の要請で、平成13年12月からお世話になった長野県衛生部職員の定年退職した準備として、平成15年8月には、支援活動の仲間の助言を得て、任意組織であった「チェルノブイリ医療基金」をNPO法人化させ、更に知人の深いご協力をいただき、松本市内に基金の事務所も開設し、着々と次の生き方のデザインを構築していたからです。
正直のところ、私が市長に就任したことは、仲間の皆さんを、「話が違うじゃないか」とひどく失望させてしまったようです。加えて、全国から定期的に基金へ募金してくださる多くの支援者の皆様も、この突然の“できごと”に、恐らく複雑な思いに駆られたのではないかと危惧していたのであります。しかし、市長に就任したからには、市政運営に全力を尽くすことを決断し、私自身が身を入れて支援活動に参加できないなどの理由で、NPO法人の理事長を交代してもらいました。
昨年度の基金の医療支援活動は、北和田理事長はじめ、仲間たち各自、忙しい合間をぬっての精力的なご尽力により、汚染地域での活動こそできませんでしたが、国内での支援業務を継続することができ、さらには大変ありがたいことに、多くの支援者の皆々様による募金協力も途絶えることなく続けられました。まさに感謝の一語に尽きます。
このような状況の中、本年4月に入り、私は今年こそは何とかベラルーシへでかけられないものかと、市政運営の傍ら思案を重ねてきました。その結果、助役以下市職員をはじめ、議会や市民の皆様の温たかいご理解をいただき、7月15日から23日にかけて
、2年振りにベラルーシを訪問することができました。ただ、往復に4日間を要する行程ですので、実質5日間の極めて短期かつハードなスケジュールの旅でした。
今回は、医師(内科、小児科、外科)3名と、医学生(三重大学医学部5年生)2名の計5名によって、現地での医療支援活動を実施してきました。前回のニューズレターでお約束した通り、「活動報告」をさせていただきます。参加者5名がそれぞれ感じたことや思いを、そのまま掲載致します。また、ベラルーシで撮影した写真も併せてご覧下さい。なお、ビデオ撮影も行ってきましたので、ご希望の方には貸し出しを致しますので、事務局(東京あるいは松本)まで連絡してください。
今回の現地での支援活動が無事に所期の目的を達することができましたのも、一重に多くの支援者の皆様のおかげと、深く感謝申し上げる次第であります。

●7月16日:空港通関時でのトラブル!

 ベラルーシ出発前から案じていましたが、やっぱり。今回は新型のポータブル超音波診断装置を箱詰めにし、手荷物として運搬し、住民甲状腺検診で使用した後は、医療援助物品としてモーズリ市立小児病院に供与する予定でした。しかし、ミンスク国際空港での通関審査時、係官から、ベラルーシでは最近新たに法律が制定されたためまかりならぬとのこと。もし、人道医療援助物資として扱うならば、法外な入国税がかけられるとの説明を受け、あれこれ交渉した結果、診断装置の一時入国税70ドルを払わせられ、かつ持ち帰ることの約束でやっと入国できたのであります。いずれにしても、通関手続きに1時間以上もかかってしまいました。初めてベラルーシを訪れた同行の医学生いわく「大変な国ですね。よくもこの国で5年半も住んでいましたね!」。私答えていわく「こんなこと、日常茶飯事さ!」

●7月17〜18日:甲状腺検診に650人の住民が!

 とにかくびっくりしました。2日間にわたる住民検診に650人(初日は250人、2日目は400人)に及ぶ市民が、その中には生後1年未満の乳児から、80歳近くの高齢者まで受診してくれました。実は、今回は2年振りの検診で、多くの住民たちは私のことなどすっかり忘れてしまっいて、受診者数はかなり少ないだろうとタカをくくっていました。うれしい誤算でした。この検診を通し、特に親や祖父母たちの子や孫への心配は異常とも思えるほどで、汚染地に生きる人々にとっては、“チェルノブイリの恐怖や不安”はまだまだ終わっていないのだと、改めて痛感いたしました。今回もありがたいことに、ゲンナジー医師とタッチヒン医師が手伝いのため、それぞれ遠方から駆けつけてくれ、私たちの国際プロジェクトチームの強固さを実感した次第です。

●7月19日:医療支援活動を続けてください!

 モーズリ市役所、ならび新装になった小児病院、そして産婦人科病院を視察。
 市役所では、市長が夏期休暇のため、副市長のピサニック氏や地区医療協議会会長らが待っていてくれました。私たちの医療支援活動を高く評価するとともに感謝を述べ、できることなら今後もぜひ支援を継続してほしいとの要請を受けました。また、青少年を中心とする文化交流も実施できたらうれしいとも言われました。当方からは、来年、チェルノブイリ医療基金の事業として、新生児科(あるいは産科)の医師を研修の目的で、日本に招聘することを計画していると伝えました。
 午後は、新築の小児病院を訪問。オルジェホフスキー院長やチェルニショーワ女医が、本当にうれしそうに院内を、これでもか、これでもかと案内してくれました。しかし、その目的とするところは、病院施設等のハードは整備されたが、医療器材等を含めたソフト面が不十分であるので、何とかしていただければと、彼らの目が切なそうに訴えていました。当基金も、今後、可能な範囲で支援することをお伝えしました。ただ、支援手続きが円滑に進むよう強く要望しておきました。院内視察後、前もって相手側から希望のあった「音楽療法」についてのディスカッションの場を持ちました。
 次いで、産婦人科病院を訪問。日本の医療施設のように、院内が物であふれているという、いわゆるゴテゴテした状況でなく、極めて簡素かつ実質的であると感じました。このことは小児病院でも同様でした。視察後、院長との質疑のなかで、チェルノブイリ事故後における奇形児や低出生体重児の出産状況について質問したところ、増加はしているが、それが事故と直接関連があるのかについての返事はもらえませんでした。いずれにしても、来年私たちの基金で、この方面の専門医師を研修に招くことは、大きな意味を持つものと確信しました。

●7月20日:とにかく皆健康でうれしい!

 ゴメリ市に移動。夕方、今回初めての試みで、宿泊ホテルの一室で、小児甲状腺癌の術後経過観察中の患者たち4人と再会。
 いずれも術後7〜8年が経過。当時、少女であった彼女たちも、今やさらに美しく成長し、もうすっかり大人の仲間入り。皆それぞれにしっかりとした目的を胸に、自らの道を自信に満ちて歩んでいる様子、本当によかった!しかし何にも増してうれしかったのは、彼女たち全員が特に健康に問題もなく、通常の生活を送っていることでした。とにかくこのまま元気でいてくれることを願うばかりです。カーチャ、ターニャ、アーニャの3人は医療従事者の道を、そしてスベトラーナは6カ月前に2人目の子を出産したとのこと。事故によるマイナス面をプラスに転化して、力強く生きるチェルノブイリの子どもらに脱帽!

●7月21日:今後も医学協力と情報交換の継続を!

 首都ミンスクに移動。午後、国立甲状腺癌センターに出向きユーリー医師を訪問。
 久しぶりの再会。驚いたことに、私の肩を抱いて迎えてくれたのです。シャイな彼がこのような仕草をするのは、私にとって初めての経験でした。
 私が滞在した当時の古ぼけたセンターは立派に新築され、ユーリーはミンスク医科大学の教授に昇任。そして父の後継者として、センター長も併任。時の流れを実感しつつ、さまざまな話に花が咲きました。そのなかで、チェルノブイリ事故後の甲状腺癌の推移と現状について、最新の情報を教えてくれました。その要旨は、小児ならびに思春期の癌患者数はほぼ事故前に戻ったが、45歳以上の患者は、今なお増加傾向にあり、今後、まだまだ予断を許さないとのことでした。ユーリは最後に、「センセイ、これからも相互に連絡を取り合い、医学分野の交流や情報交換に協力してください」と言い、いつの日かの再会を楽しみに、センターを後にしました。

●7月22日:来年はチェルノブイリ事故後20周年です!

 本日は旅の最終日。午前中、チェルノブイリ事故担当委員会のツァルコ委員長(大臣に担当)に面会。
 彼とは以前から面識がありましたが、今回はビザ取得の手続きなど、大変お世話になり、お礼のため訪問。彼は当基金のこれまでの医療協力に感謝を述べ、その後こう続けました。「来年4月に、事故後20周年を記念して、ミンスクでの国際会議を開催するので、ぜひ甲状腺関連のテーマで発表してほしい」と。びっくり!私が「今は医者の仕事を全くしていないので無理です」と答えると、彼いわく「何とか思い出して下さい!」
 来年は事故後20年。つまり事故当時生まれた子どもは成人となるわけです。しかし、汚染地に暮らす人々にとっては、チェルノブイリ原発事故による健康被害や環境汚染の不安や悩みはこれからも永く続くのであろうと、暗い思いを胸に空港へ。

● 旅の終わりに

 どこまでも広がる緑一色の大地。地平線に向かって一直線に伸びる道をひた走る車窓に映える大自然は、人間とはいかに小さい“生きもの”であるかを、そして地球上に住むすべての人間は、まさにこの大自然に抱かれて共に生きているのだなあと、しみじみ感じさせてくれました。
 日本村からベラルーシ村へお手伝いに出掛け、そのことがきっかけで、地球市民の仲間が増えたことに感謝しつつ。




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