Chernobyl Medical Fund Newsletter
 (2)


 チェルノブイリ医療活動に参加して

菅谷 紘子


 
成17年7月15日から7月23日までチェルノブイリ医療活動に初めて、小児科医そして会計係で参加した。ベラルーシを訪れるのは3回目であった。
 7月15日午前2時45分に、乗合タクシーで大きな荷物3個ともに自宅を出発し、予定より少し遅れて、午前8時30分頃成田空港に到着した。空港は大変な混雑であった。早速、いろいろなことがあったものの、7月16日にミンスク空港に無事に到着した。超音波検査器(新品同様なので)のことで1時間以上、入国審査官とやり取りし、その結果、一時使用料税を72ドル支払う。途中から小川さんが審査に立ち会い、事はスムーズに進んだ。これで良しと言われて、2ドルのお釣りが戻された。なんと、税金の計算のアバウトのこと、日本ではこんな事あり得ないと思った。小川さんに感謝します。やっと、午後3時10分ごろ、ミンスク空港を後にした。夕方遅くにモーズリ市に到着し、エレーナさんやゾーラチカの人たち大勢からパンでの歓迎を受けた。タチヒン先生、ゲナジー先生とそのご子息の到着後、大変楽しい夕食になった。
 
よいよ検診開始。17日は早朝から、少しずつ人が集まり出していた。超音波検査は順調に行われ、どんどんさばいていたのに、検査を受ける人達は一向に減らない。入口付近の1人の婦人がノートを持っていて、それを見て、ビックリ、230人ぐらいの名前が書かれてあった。まだ、50人ぐらいしか終わっていなかった。その土地に来たら、その風習に従うしかないが、それにしても能率が悪い。ついつい日本人の性格が出て、強引に机とソファーの配置を変え、もう1台超音波検査器を用意して、2名で検査を開始した。現地の先生たちは、少し嫌な顔をしていた。診察室が狭く、患者を上手に誘導しないと、すぐに部屋は人でごった返していた。次回は入口と出口の2箇所を設けて、入口から名前を記入、次に超音波検査、次に結果の説明、そして出口へといった流れを考えてみたいと思った。正義感のある2人の先生たちは、午後にミンスクやゴメリへ帰る予定であったが、最後の患者250番目を診て終了にした。大変ご苦労さまでした。ありがとうございました。彼らは夕食を食べて出発した。多分、ビールも飲んだことでしょう。二人ともお酒大好き人間です。
 
18日は日本人スタッフのみで診療開始。今日もCMFの入口前は大勢集まっていた。私はできるだけ混乱なく検査が終わるように患者を誘導した。昼少し前にはもう300名位の名前が書かれてあった。最後の検査が終わったのは午後6時30分頃で、400名に達していた。日本人スタッフ皆さんご苦労さまでした。
この2日間で
650名の超音波検査が行われた。この中で精密検査を必要とする患者は10名以下であったと思う。実際に甲状腺癌と診断され手術をする患者は減ってきているそうです。
19日は小川さんに面会の予約を手配しておいてもらい、モーズリ市庁舎を訪ねた。副市長、そして日本で言う医師会長、その他有力な方たちと今後の医療活動について懇談した。こちらの希望も十分に理解してもらい、医療活動はそのやり方を一部変更して続けることになった。大変嬉しく思います。新しくできた子ども病院と産科病院を見学した。やはり、器具や部品が足りないようであった。子ども病院では、これから音楽療法を取り入れていきたいということで、音楽療法について説明した(写真)。音楽療法とはただ音楽を聴くだけが療法と思われていた。子どもの場合は、楽器を使いながら、リズムを取り入れ、遊びを交えて楽しく癒すことであると説明した。少しビックリしたような感じであった。でも、理解してもらえたと思う。
 
20日はゴメリへ移動。甲状腺癌の手術を受け、その後毎日薬を飲み続けている4人の女性と再会。全員順調に経過していた。3人は頚部の傷も非常に綺麗で、襟の開いた夏服を着ていた。1人だけ、頚部の手術痕を見るとL字で、それを隠すようにハイネックの夏服を着ていたのが印象的でした。この女性は助産師の資格を取り、2005年9月から産科で働くことになっていた。体調に十分留意して、この仕事をやり通して下さい。また、立派に2人目のお母さんになった人。母乳で育てているようで大変嬉しく思った。また、看護師として働きながら、医師の資格を習得しようと勉強している人。そして、1浪して、医学の道を始めた人。本当にみんな、前向きで希望に満ちていた。大変嬉しいです。小遣いは何に使うのかの質問に、「お化粧品を買う」と、ニコニコしていた。やはり女の子ですね。また、土曜日は何をしているのの質問に、「ダーチャ(畑仕事のこと)を手伝う」と話した。家族思いですね。
 
21ミンスクへ移動。夜は日本の元ベラルーシ大使館員のニコライ氏らと大勢で、ミンスクの最後の夕食会、大変楽しいひとときを過ごしました。私は、いろいろと話には聞いていたが、ニコライ氏とは今回初めてお会いしたと思う。ニコライさん初めまして。
22日の最終日は、小川さんのきめ細かい手配でチェルノブイリ関係の有力な責任者と面会した。その後日本に向けて帰国の途へ。
23日成田到着。乗合タクシーで松本へ。千葉県を走行中、大きな地震に遭遇。でも、定刻に自宅到着。
 
回も、この医療活動は滞りなく成功裏に終えることができた。毎年この医療活動が続けられるのは、ベラルーシに住んでいる小川さんの多大な協力があり、そして、この国の有力な方々に我々の医療活動を理解して、認めてもらえるように働きかけてくれたためだと思う。この活動を続けるにあたり、小川さんなしでは全くできないといっても過言ではない。本当に小川さんありがとうございました。今回も大変ご苦労さまでした。この紙面を借りて、心から感謝いたします。
 最後に、3回目のモーズリ訪問であったが、町を歩いていても、弱々しく元気のない子どもたちは全く見らず、大変嬉しく思った。最初にここを訪れたのは、チェルノブイリの原発事故後10年目ごろだったと思ったが、モーズリ市庁舎の一室で、市長や先生方から事故後のいろいろな話を聞いた。驚きでいっぱいであった。ある先生が、「子どもたちは午前中の授業も、疲れてしまい、できなかった。ビタミン剤でもいいから欲しい。」と訴えていたのを、今でも鮮明に記憶していた。でも、今、子どもたちは、確実に大きく成長し、たくましくなっていた。

 


  




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