生薬・漢方薬を学ぶおもしろさ――薬剤師にとって漢方薬は戦う相手なのか?

このエッセイでは、私たち薬剤師は漢方薬とどのように付き合えばいいのか、どうすれば実践で扱っていけるのか、かつて、漢方薬を全く知らなかった人間が、どのように考えてきたのかということを、2回にわたって徒然に書き連ねたい。
「化学のにおい」がしない——漢方薬との出会い
正直なところ、私は漢方薬については全く無知であった。最初から私事で恐縮であるが、実際そうであった。というのも、大学ではヒガンバナの成分を、大学院時代には沖縄の海に潜って海綿やナマコを拾っては成分分析に明け暮れていた。いわゆる「物取り屋さん」でずっと過ごしてきて、大学の教員になっても対象は変わったものの、やはり、新規化合物の発見に目の色を変えてカラムクロマトとHPLCを操る日々であった。
物質にはかならず「化学」があり、化学は全てを説明できるはずである、と信じて疑わなかった。薬学部を出た人間として、何ら不思議ではない考えである。しかし、その考えを完全に覆す事態に巡り会った。ある日、病院薬剤部に勤務することになったのである。勿論、医薬品を扱い考える上でも化学は切り離して考えられないものではあったが、どうしても化学とは馴染まないものがあった。それが漢方薬であった。
もちろん、漢方薬を服用した経験はあった。また、効いた経験もあった。ただ、『漢方薬とはそういうものだ』という認識であり、他の医薬品と同列のものという意識があった。しかし、薬を扱う仕事をしていて、「いや待てよ、これは医薬品なのか?」という疑問が生じてきた。
学生時代から生薬を扱う研究室にいたので生薬になじみはあったが、あくまで生薬は「化学」として扱う対象、つまり物質であった。しかし、それを混ぜて作った漢方薬には全く「化学のにおい」がしない。同じような素材(生薬)を混ぜて作っているだけなのに、どうしてこうも違う働きの医薬品になるのかわからない。そこには、化学の影が全く見えなかった。薬剤部というところにいなかったら、漢方薬はそういうものだ、ということで終わっていたと思う。しかし、薬剤部ではカラムクロマトを眺めたりHPLCと戯れることができない。そこで、意を決し、ここはひとつ漢方薬を学んでみようと考えた。
古典と中医学の巨大な壁――「日本語なのに読めない」
生薬についてはあくまで「化学」の対象としてではあるが、一応なじみもあり、それなりにわかっているつもりであった。生薬を足がかりにしたら漢方薬がわかるかも…という望みをかけて、著名な先生が執筆された漢方薬の書を読んでみた。が、これがとても難しい。生薬の話も時々出てくるが、古典の内容からこうだ、ああだという話に全て行きつく。これまでに古典を少しは目にしたことがあるが、真剣に読んだことはほとんどない。『傷寒雑病論』も一通り読んではみたものの(勿論、口語訳であるが)、理解できているとはとても思えず、結局、読むのを諦めてしまった。
そこで思い出したことが1つあった。実は、2001年から1年弱ほど、文部省(今の文部科学省)在外研究員として北京中医薬大学と北京薬用植物園で生薬や薬用植物について研究をしたことがあった。その際、中医学というものがあって、これは生薬の働きを利用した医薬品であり、これで治療するのが中国では一般的だということを知った。漢方薬との違いはよく分からなかったが、中医学ならば生薬をカギにして学べるのではないかと思って、日本語で書かれた中医学の書物はないかと探したところ、神戸中医学研究会編著『中医臨床のための方剤学』という本を見つけて買って読んでみた。が、数ページで完璧に敗北した。日本語の本であるにもかかわらず、読めない本があるというのが自分でも信じられなかった。
要するに、中医学の基礎がわかっていないから単語がわからないのである。ここでくじけず、今度は中医学の簡単な解説書を読みあさって、単語と考え方を理解しようとした。もはや、初めて英語に出会った中学生と同じである。
「都合よく」理解する――生薬学からひもとく漢方の面白さ
しばらく奮闘するうち、何とか『方剤学』の書物が理解できるような気がしてきた。この本には病機(その処方が適応する病の成り立ち)とそれに対応する生薬について詳細に書かれていて、なるほどこういうときにこの生薬を使うのか、などと自分で納得しながら読み進めていった。
その時、はっと気がついたことがあった。これ、本当に正しく中医学を理解して読んでいるのだろうか? 結局、中医学について誰にも師事していないため、自分の考えが正しいのかどうかという判断ができないことに気がついた。と同時に、それがわからなくても本は読めるということにも気がついた。それは何故か。生薬の働きから逆に病機を考えれば、都合よく処方の意味が理解できるのである。例えば、人参と白朮は気を補う働きがある。陳皮、甘草、生姜、大棗は健胃の働きがあり、気を作り出す。そして、半夏と茯苓は胃の不調で吸収できなかった水分を除いて吐き気を抑える働きがある。だから、六君子湯は気が足りないときの胃の不調と吐き気に使えるのだ、という調子である。
この考えで、漢方薬の意味を理解できるのではないか、そう思って病機をフローチャートのようにして、どこでどの生薬が働いているのか、そのチャートに加えてみた。生薬の働きは複雑で多彩であることから、細かい働きを無視して、大まかに八綱弁証でいう寒・熱・虚・実の4つに対応するものとして、寒に対する「温」、熱に対する「冷」、虚に対する「補」、実に対する「動」ということばで表現することとした。この手法を医療用漢方薬148種類に当てはめたものが、『生薬の働きから読み解く 図解 漢方処方のトリセツ』というかたちで世に出ることとなった。
ここでお分かりいただけただろうか。この『トリセツ』は、生薬の働きから「都合よく」処方の意味を理解して書かれたものである。この「都合よく」というのは、漢方薬を理解する上でとても重要なことだと私は信じている。薬学部で化学や薬理を学び理解しているが、漢方薬は全く異次元の考え方であるために難しく、どうしても一歩引いてしまいがちである。そこで、正攻法で古典や漢方薬の書物から学ぼうとすると、漢方理論の巨大な壁に阻まれる。そして、諦めてしまう。これを繰り返すと漢方は苦手、嫌いとなってしまう。化学以外何もわかっていなかった私はどうも玄関からではなく勝手口から漢方の世界に侵入したのかもしれない。
そこで見えてきたのは巨大な壁の裏側は自由な世界なのだということである。生薬の働きさえ理解すれば、都合よく自分の中で納得すればそれでもいいのだということである。漢方と聞くとどうしても身構えてしまう薬剤師は多いと思われる。特に、私のように昭和時代に教育を受けた薬剤師は漢方に触れる機会がまずなかった。ただ、生薬学は、好きか嫌いかは別として、恐らく今の薬学生以上に徹底して教えられ学んだと思う。このとき、生薬は「化学」であり、私と同じ思いで生薬学の授業を受けていたはずである。
ここで、生薬の世界がもっと広いということに気がつけば、苦しい漢方の学びは面白さに変わると思う。昨今、薬学部では漢方についての学習がコア・カリキュラムにもあることから、国家試験にも出題されるため、若い薬剤師にとって漢方はかなりなじみのある医薬品となった。ただ、逆に生薬について学ぶ量が少なくなっているのはとても残念に思う。生薬を学んでこそ、漢方薬は楽しく学べるのである。ということで、次回は生薬を楽しく学ぶためにはどうするかについて呟いてみたい。
昭和39年1月29日大阪市生れ。昭和58年徳島大学薬学部薬学科入学。
平成4年大阪大学大学院薬学研究科薬品化学専攻博士後期課程修了、博士(薬学)。
平成4年福山大学薬学部天然物化学講座助手。
平成6年徳島大学薬学部生薬学講座講師。
平成17年徳島大学医学部臨床薬剤学講座助教授、徳島大学病院副薬剤部長。
平成27年徳島大学大学院医歯薬学研究部臨床薬学実務教育学教授。
平成29年より昭和大学(現:昭和医科大学)薬学部臨床薬学講座天然医薬治療学部門教授。
2026年8月に開催される第43回和漢医薬学会学術大会において大会長を務める。