<はじめに>
以前、ある医療ドラマで教訓的な描写がありました。
主人公は腕の立つ中堅の外科医。若い患者さんの大きな手術を控えていました。患者さんは主人公に全幅の信頼を置き、主人公も「自分なら最高の手術ができる」という自信を患者さんに見せ、安心感を与えていました。
ところが、手術当日、主人公の外科医は途中で一時的に執刀を降りることになります。手術中に別の担当患者が急変し、その対応を余儀なくされたからでした。第一助手を務めていた外科医が途中から執刀し、手術は無事に終わったのですが、残念ながら術後に合併症が起きてしまいます。その後、患者さんは途中で術者が代わったことを知り、怒りをあらわにしました。手術を代行したもう一人の医師も有能な外科医であり、手術の進行には何も問題なかったのですが、患者さんから理解を得ることはできませんでした。こうして、主人公との信頼関係は完全に崩れてしまったのです。
さて、このストーリーを読んで、医療者側のどこに問題があったと思いますか?
どれほど腕の良い外科医が手術をしても、合併症をゼロにすることはできません。よって、「合併症が起こったこと」そのものは、のちにフィードバックは必要としても、決して過誤ではありません。また、時にやむをえない事情で術者が交代することはありますから、「途中で手術を降りるべきではなかった」と反省しても問題の解決にはつながらないでしょう。
では、何が問題だったのでしょうか?
それは、主人公の手術前の説明であり、態度です。主人公は自信がみなぎるあまり、患者さんに対して「自分が手術をすると必ずうまくいく」と“ 意図せず” 思わせていました。術前に患者さんの頭の中にこういう前提があったからこそ、合併症が起こったときに、
「最後まで彼が遂行してくれたらこんなことにはならなかったはずだ」という考えを抱いたのです。
ひとたびこういう発想に至ってしまえば、「途中で外科医が代わっても代わらなくても結果は同じだったはずです。合併症は一定の確率で起こるものです」と後から説明を受けても、すんなり納得できるはずがありません。患者さんにはただの言い訳にしか聞こえず、かえって不快感を募らせるおそれもあるでしょう。
主人公は術前の段階で、患者さんが手術をどう捉えているか、自分をどう捉えているかを知り、適切な説明を加えて“ 認知のズレ” を埋めておく必要がありました。場合によっては、手術は自分一人ではなくチームで行うものである、ということも強調しておく必要があったでしょう。
同じ現象、同じ景色であっても、事前に与えられた情報が異なればまったく違ったふうに見えるものです。防ぎようのない合併症であったとしても、事前に十分な説明を受けていなければ、患者さんは医療者側の落ち度に原因を求めます。患者さんの心の中にひとたびこうした疑念が生じれば、信頼を回復させるのは極めて困難です。
医療とは本来、不確実なものです。
どんな名医でも、治療の効果や予後を正確に予測することも、合併症を完全に防ぐこともできません。「予想外のことが起こる」という事実そのものも医療においては“想定の範囲内”です。こういう状況で、患者さんにいかにうまく説明するか。これが患者さんと良好な信頼関係を築けるかどうかを決めるのです。
昔、尊敬する医師が私に教えてくれた教訓があります。
「同じワインでも、おしゃれな店で飲むのと小汚い店で飲むのとでは違った味に感じられるだろう。医療もそれと同じで、同じ結果を提供しても、患者さんがどう捉えるかは医療者からの説明や態度によって変わるものだ」
患者さんとの人間関係が崩れると、その修復にとてつもない時間と労力を要し、医療者は精神をすり減らします。しかし、たった一言、説明の方法を変えるだけで、患者さんとの関係の構築は劇的に楽になります。
これほどまでに重要なコミュニケーション術を、医療者は体系的に学ぶ機会がありません。本書では、ケースに応じて「よくある間違い」を紹介するとともに、理想的な説明の方法を紹介します。明日から使える実践的な知識を詰め込んでいます。おおいに活用し、また後輩の指導などにも使っていただきたいと思います。
2020年3月
京都大学大学院医学研究科 消化管外科
山本 健人